令和元年10月度 教会長のお話

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     10月号「佼成」の会長先生の「ご法話」を拝読させていただき、感じた

    とを書かせていただきます。

     

     今月は、『「仏」を供養する』というテーマを、

     なぜ「仏」がたくさんいるのか  「供養」の基本は思いやり の

    2段落でご解説いただいた。

     

     まず、『なぜ「仏」がたくさんいるのか』の段落では、

     

     法華経の「授記品[じゅきほん]」には、釈尊の弟子たちが「あなたも仏になれすよ」と、仏になれる保証を授かる「授記」のくだりが繰り返し出てきます。その中で釈尊は、弟子それぞれに、仏を供養し、尊重することの大切さを、その内容とあわせてくわしく説いています。

     それにしても、私たちからすると、「三百万憶」や「八千億」といった、計り知れない数の「仏を供養する」と聞いただけで別世界の物語に思えます。「未来世」「当来世」とありますから、生まれ変わり死に変わりを繰り返しながらということでしょうし、自分に実践できるとはとても思えません。

     ただ、人間・釈尊が、悟りに至るまでに出会った人や、教えを受けた人、さらには、真理を伝える旅でふれあった人びと、そうした人たちすべてを「仏」と受けとめる見方に立って読むと、先の経文も違って見えてきます。同時に、日々に出会う一人ひとりを、釈尊に倣[なら]って「仏」と受けとめるとき、この経典の一節が、私たちの日常生活における実践課題として身に迫ってくるのではないでしょうか

     

     『「供養」の基本は思いやり』の段落では

     

     目の前の人を「仏」とみるということでいえば、臨済宗を開いた臨済義玄禅師[りんざいぎげんぜんじ]が、次のような言葉を残しています。「もし君たちが、仏を外に向かって追い求める心を離れたなら、そのまま仏である。いま、私の目の前でこの説法を聴いている君たちが仏にほかならない」

     修行仲間に向けられた言葉ですが、自分は本来、清浄[しょうじょう]な心をもつ仏なのだと自覚すれば、自分も仏、目の前にいる相手も仏ということで、それは「出会う人はみな、すべて仏」と信じ、受けとめることにほかなりません。

     人は、死んだ人に手を合わせることはできても、生きている人にはなかなか手を合わせることができないといわれますが、亡くなった人も生きている人も同じ「仏」であれば、目の前の人に「恭敬[くぎょう]・尊重[そんじゅう]・讃歎[さんだん]の気持ちを示す「供養」を行なうのも、不思議な話ではないどころか、むしろ当たり前のことです。

     では、具体的に何をするのか ―― 仏に感謝のまことを捧[ささ]げる「供養」の中でいちばん大切なのは、教えを実践することだといわれます。実践をとおして、教えが真実であることを体得する。釈尊のように慈悲[じひ]の心で日々をおくる。やさしく言えば「人の悩み苦しみが少なくなるように、楽しみが多くなるように」と願って、人を思いやることです。

     それが、目の前にいる「仏」に対する供養であり、ひいては、修行・精進を重ねて得た真実を説いてくださった釈尊、つまり「仏さま」への感謝と尊崇[そんすう]の気持ちを込めた供養となるのです。こうして私たちは、思いやりがあふれる人間になるにつれて、「仏」に近づくでしょう。

     私たち一人ひとりを一枚の布にたとえれば、みんな「仏」になる資質をもったすばらしい「布」です。そこに慈悲 ―― 思いやり ―― の実践という裏地が施されると、「仏」という最高の「衣」になるということかもしれません。

     

    と、締めくくられた。

     

     開三顕一の法門は、仏性の自覚を確立することを促しています。

    そして、それは自らの救われだけではなく、多くの人が救われるための実践こそ尊く、その実践を通じて成仏に向かって精進する決定を、本仏は願っておられる。そのことに気づき表明したものに授記が与えられます。

    しかし、成仏の保証には条件があり、多くの仏を供養した暁にというもので、会長先生は、その多くの「仏」というものは、日々に出会う一人ひとりを、釈尊に倣って「仏」と受けとめるとお示しいただいた。つまり、今、目の前におられる人の仏性をどれだけ拝めるかが、多くの「仏」を供養することであると明快にご指導くださいました。よって、別世界のような物語ではなく、今からすぐに人を思いやる実践に取り組めばよいと思わせて頂きます。

                                  合掌

     

                                                                   立正佼成会 姫路教会

                                   たかとし

                              教会長 吉 田 高 聡

     

     

     

     

     


    令和元年10月度 姫路教会行事予定

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      10月 1日(火)   9:00〜    朔日参り(布薩の日)

               19:00〜21:00  夜間朔日参り

                       (当番:姫路西/加古川第一


      10月 4日(金)   8:45〜    開祖さま入寂会[映像配信]

       

      10月10日(木) 9:00〜    脇祖さまご命日

       

      10月 12日(土)〜13(日)       大日町自治会秋祭り

                       [教会駐車場:お神輿休憩所]

       

      10月13日(日) 9:00〜    日蓮聖人遠忌法要

       

      10月15日(火)   9:00〜    釈迦牟尼仏ご命日(布薩の日)

       

      10月26日(土) 13:30〜    「太平洋戦全国戦災都市空爆死没者

                         慰霊と平和の祈り」

                        於:姫路市手柄山中央公園内

       

      10月28日(月)         感謝のお礼参り

       

       

       


      令和元年 9月度 教会長のお話

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         9月号「佼成」の会長先生の「ご法話」を拝読させていただき、感じたことを書かせていただきます。

         

         今月は、『「違い」があるからこそ』というテーマを、

        ○ みんなを愛おしむ心、○ 「違い」がある意味と尊さ の2段落でご解説いただいた。

         

         まず、『みんなを愛おしむ心』の段落では、

         紀貫之が、「古今和歌集」に収めた自身の恋歌の一つに、次の歌があります。

        「世の中はかくこそありけり吹く風の 目に見えぬ人も恋しかりけり」

         これを恋愛の歌として読めば、それはそれで理解できます。ところが、ある方によると、この歌は、私たちがなかなか気づかない一つの「真実」を歌い上げているというのです。その「真実」とは、人はみな心の根底において、この世に存在するすべてのものを愛おしいと感じ、慈しんでいる、ということです。

         しかし、現実にはそうとは言えない状況があちこちで見られます。考え方やものの見方の違いが原因で人と言い争ったり、いがみあったり、交流を断ったり、国同士が戦火を交えたり・・・・。残念なことに、宗教間の対立も現実の問題として存在します。多くの人が、他人との違いを受け入れられずに苦しみ、悩み、無益な争いまでしているのです。

         そうした中で、私たちが身近でできることは、他者との違いを違いとして認めて受け入れることですが、それにはまず「私の胸の内にも、この世のすべてのものを愛おしいと感じ、慈しむ心がある」と自覚することです。すると、人と自分に違いがあることの尊さも見えてくるはずです。

         

         『「違い」がある意味と尊さ』の段落では

         私たちは、一人ひとり異なる因と縁によって生まれてきています。また生まれてからも、一人ひとりがそれぞれ独自の縁にはぐくまれて、「私」という個性があります。

         ですから、人種や容姿はもとより、人と考え方やものの見方が違うのは当然で、違いを理由に対立したり、排除したりするのは、自分の個性を否定することと同じです。

         宗教の世界においても、人それぞれの縁に随って救われる道が異なるのは自然なことで、キリスト教の教えで救われる人もいれば、イスラム教や仏教の教えで救われる人もいるのです。それは、安らぎを求める人が、信じ仰ぐ教えがたくさんあるということです。この地球に生きるすべての人に安心を与えるため、宗教・宗派のそれぞれが個性を発揮しつつ、お互いに補いあっているともいえます。

         宗教をそのように見ると、人を安心に導くという慈愛の一点において、宗教は一つに結ばれていることがわかります。そして、宗教によるその慈愛のはたらきかけによって、私たち自身も、心の底に具わる「他を愛おしみ、慈しむ心」を掘り起こされ、それを実践せずにはいられなくなる――仏教でいえば、それが菩薩の生き方です。

         私たちには、ふと自他の違いを感じて、人にやさしくできないときもあります。そういうとき、外に向いた目を自分の心の内側に向けると、違いを受け入れやすくなります。

         私は、国際会議の席などで、意見の異なる人に出会ったときに、よく「私にはない考えをもっておられて、すばらしいな」と感じます。そして、その違いをとおして、まだまだ知らないことばかりの自分であると教えられるのです。自分の意見を声高に主張し、違いを盾に角突きあわせるよりも、違いを認め、受け入れて相和[あいわ]し、その和の醸成[じょうせい]をお互いに喜びあえるほうが幸せではないでしょうか。

         法華経の「薬草諭品[やくそうゆほん]」に「如来[にょらい]の説法は一相一味[いっそういちみ]なり」とありますが、宗教に共通する目的と、私たち一人ひとりの胸底に宿る心を考えあわせると、この宇宙船地球号の乗組員はみな、安らぎと幸せを得ることを約束されているという意味で、「宇宙の真理は一相一味」ともいえます。私たちには、それを現実の世界で証明するお役があるのです。

         

        と、締めくくられた。

         

         今月は、内容が全文重要と思い全文掲載しました。特に、「薬草諭品」は、平等と差別について説かれている品ですが、「諸法」の差別相と「実相」の平等相の見方を現在の世相に合わせて、どう受け止めるかという受け止め方をご指導いただきました。

         おりしも、先月20日〜23日にドイツで第10回WCRPが開催され世界の宗教者のみなさんも「慈しみの実践」というテーマで会議が行われました。たとえ自分と意見が違う人、害をなす人であっても、仏さまは全ての人に安らぎと幸せを与えてくださるというお慈悲をしっかりと信解できるよう精進させて頂きましょう。

         そして、会員各家のすべてのご先祖様に成仏いただくべく、「彼岸会」に向かっての手取り修行に取り組みましょう。

                                      合掌

         

                                                                       立正佼成会 姫路教会

                                       たかとし

                                  教会長 吉 田 高 聡

         

         

         

         

         

         

         

         


        令和元年9月度 姫路教会行事予定

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          9月 1日(日)   9:00〜    朔日参り(布薩の日)


          9月 4日(水)   9:00〜    開祖さまご命日

           

          9月10日(火) 9:00〜    脇祖さま報恩会

           

          9月 14日(土)〜15(日)      (ご命日団参)

           

          9月15日(日)   9:00〜    釈迦牟尼仏ご命日(布薩の日)

           

          9月22日(日)         秋季彼岸会

           

          9月27日(金)         感謝のお礼参り

           

           

           

           


          令和元年8月度 姫路教会行事予定

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            8月 1日(水)   9:00〜    朔日参り(布薩の日)

                    19:00〜21:00  夜間朔日参り(当番:姫路南


            8月 4日(日)   9:00〜    開祖さまご命日

                             ゆめポッケ発送式

             

            8月10日(土) 9:00〜    脇祖さまご命日

             

            8月11日(日)〜14日(水)    (自由参拝)

             

            8月15日(木)   9:00〜    釈迦牟尼仏ご命日(布薩の日)

                             戦争犠牲者慰霊・平和祈願の日

             

            8月28日(水)         感謝のお礼参り(各支部)

             

             

             

             


            令和元年7月度 教会長のお話

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               7月号「佼成」の会長先生の「ご法話」を拝読させていただき、感じた

              とを書かせていただきます。

               

               今月は、『「自由自在」に生きる』というテーマを、

              ○ ほんとうの「自由」と「自在」、○ 「三界は我が有なり」の気持ち

               で2段落でご解説いただいた。

               

               まず、『ほんとうの「自由」と「自在」』の段落では

               

              ○私たちは、自分の思うままに行動できることを「自由」といい、それ

               が「自在」な生き方だと思っています。そして、多くの人が「自由自

               在に生きられたら、どれほど幸せだろう」と考えます。別の見方をす

               れば、私たちが日ごろ、いかに不自由や不満を感じているかというこ

               とです。

               

              仏教では欲にとらわれたり、自分の考えにこだわったりする心がすっ

               りなくなることを「遊戯[ゆげ]」といい、そうした何ものにもとらわ

               れない心のありようを「自由自在」ととらえています。思い煩[わずら]

                いも憂[うれ]いもなく、気持ちがのびのびとして安らかな境地です。

                また「自在」には、観世音[かんぜおん]菩薩を観自在[かんじざい]菩薩と呼ぶ

               ように、苦しむ人との声を聴いて、意のままに救うはたらきや力と

               いう意味があります。つまり、人さまを思いやり、人さまとともに向

               上をめざす生き方のなかに、ほんとうの「自由」があり「自在」があ

               るということです。

               

               『「三界は我が有なり」の気持ちで』の段落では

               

              ○法華経の「譬諭品[ひゆほん]」の一節<「経文」(㊂P.98.5〜7).略>に、

               不自由に思うことが多く、苦難は避けてとおりたいと願う私たちに、

               仏は「智慧[ちえ]の楽」を与えて、本当に自由自在な人生を送らせてあ

               げよう、というのです。では、その「智慧の楽」とは、いったいどん

               なものでしょうか。

               

               たとえばいま、目の前に、おにぎりが2つあるとします。あなたに与

               えられたものです。ところが、まわりにはあなたと同じくらいお腹を

               空かせた人が4人もいます。

               「諸苦[しょく]の所因[しょいん]は 貪欲[とんよく]これ本[もと]なり」(㊂P.109.

               7〜8)と経典にありますが、もらったあなたが一人で食べたいと思う

               気持ち(貪[むさぼ]り)も、もらえなかった人たちがそれを恨[うら]んだり妬

               [ねた]んだりする感情(怒り)も苦悩の一つです。だからといって、足り

               ないぶんのおにぎりを仏にプレゼントしもらうのが「智慧の楽」で

               はないでしょう。そうではなくて、その不足がもたらす苦悩を、自他

               向上につながる楽しみや喜びとして受けとめるようになるのが「智

               の楽」ということです。

               

              ○目の前にある小さな幸せをかみしめたり、喜びを人と分かちあったりす

               ることで、苦悩を楽しみに変えていく――それが、本当に「自由自在」

               な生き方だと思います。

                また「譬諭品」には「今此の三界は 皆是れ我が有なり」(㊂P.107.

               8〜10)とあります。私たちはそれぞれに独自の尊い命を生きながら、大

               自然の一部としてすべてと調和し、生かされています。それは、宇宙

               全体が私と一体であり、我がものだということです。先の一節は、

               「このことがわかれば、いつでも智慧と慈悲に満ちた行ないができま

               すよ」と私たちを励まし、そうあってほしいと願う仏からのメッセージ

               なのです。

               そのことをふまえて、一つお尋ねします。みなさんなら、先の二つの

               おにぎりをどのようにされるでしょうか。

               

               と、締めくくられた。

               

                お釈迦さまが「方便品[ほうべんぽん]」において、いよいよ悟られた真理

               「諸法の実相[じっそう]」を説かれ、仏知見[ぶっちけん]の「開示悟入[かいじご

                にゅう]」のためにこの世に出現され、人間の実相は“仏性”であることの

               自覚を促されました。そして、仏知見を身につけるための行法は、菩

               行あるとお示し頂きました。

               今月のご法話は、その「方便品」の説法を受けて、「譬諭品」に入って

               舎利弗[しゃりほつ]が、自分だけが悟ればそれでいいと思っていた思いを懴悔

               [さんげ]し、救われた喜びを共に味わうという、菩薩行の精進を誓い、授記

               [じゅき]をいただきました。

               凡夫[ぼんぷ]の心から、貪欲を滅するための菩薩行に向かう、本質的な救

               われに向かって精進する菩提心を起こすことの大切さを、6月号「やく

               しん」のご法話でもご指導をいただきました。

               下半期に向けて本質的な救われを目指して、本当に生き甲斐のある人生

               を歩んでいけるよう、教えを学び、実践させて頂きましょう。

               そして、会長先生のご法話の最後の質問にみなさんはどのようにお答え

               になるか、みんなで考えましょう!

                                             合掌

               

                                                                              立正佼成会 姫路教会

                                             たかとし

                                        教会長 吉 田 高 聡

               

               


              令和元年7月度 姫路教会行事予定

              0

                7月 1日(月)   9:00〜    朔日参り(布薩の日)

                        19:00〜21:00  夜間朔日参り(当番:加西


                7月 4日(木)   9:00〜    開祖さまご命日

                 

                7月10日(水) 9:00〜    脇祖さまご命日

                 

                7月15日(月)   9:00〜    盂蘭盆会

                                 釈迦牟尼仏ご命日(布薩の日)

                 

                7月21日(日)         姫路教会・参議院選挙の投票所

                 

                7月28日(日)         感謝のお礼参り(各支部)

                 

                 


                令和元年 6月度 教会長のお話

                0

                   6月号「佼成」の会長先生の「ご法話」を拝読させていただき、感じたことを書かせていただきます。

                   

                   今月は、『仏の教えを習い、学ぶ』というテーマを、

                   ○ 「習学」は日常のなかに  ○ 実践してこそ「習学」 の2段落で説いただいた。

                   

                  まず、『「習学」は日常のなかに』の段落では、

                   

                  〇法華経の「方便品」には、「学習」とよく似た「習学[しゅうがく]」という言葉が見られます「諸仏の法是[かく]の如く 萬億の方便を以て 宜しきに随って法を説きたもう 其の習学せざる者は 此れを暁了[ぎょうりょう]すること能わじ」(㊂P.82.3~4) 仏は、たくさんの手だてを使って、常にそれぞれのにふさわしい法を説いているのですが、「習学せざる者」は、そのこに気づくことができないというのです。逆にいうと、「習学」をすれば、いつでも、そのときに自分に必要なお諭[さと]に気づけるということです。

                   

                  ○仏が、私たち一人ひとりに、そのときその場にふさわしい法を説いているというのは、たとえば爛漫[らんまん]と咲くエゴノキが、ある人には生滅変化[しょうめつへんか]する無常の理[ことわり]を気づかせ、またある人には「いま」を精いっぱい生きる大切さを教える「声」を発しているということでしょう。こうした自然の摂理[せつり]をはじめ、さまざまなできごとの中に真理を感じとり、仏の声を聴こうとすることで、私たちは、自分の思い上がりや欲得ずくの考えを反省したり、生きる勇気を得たりして、また新たな一歩を踏みだします。その繰り返しを「習学」というのです。

                   

                  『実践してこそ「習学」』の段落では

                   

                   日々、私たちの周囲で起こるできごとは、仏が「万億の方便」を駆使して説く法にほかなりません。受けとめようとする心があれば、だれでもそれに気づくことができます。

                   ただ、「習学」は知識を得るものというよりも、実践を繰り返すなかで「仏の教えにそった生き方を身につけていく」ものです。たとえば、身近な人と仲たがいをしたとき、相手を責める前に「思いやりの足りなさを教えられているのかな」と学ぶ気持ちになると、素直に謝ることができるように、たとえ困難なことに直面しても、そのことから「自分は今、何を教えられているのか」を学び、前向きな実践につなげて、その生き方を自分のものにしていくのです。

                   とはいえ、いつでも、どのようなことも、それを仏の説法と受けとめられるほど、心が安定している私たちとはいえません。気づいたことが、すっと胸に落ちるときもあれば、疑問や迷いが心に渦巻くこともあります。 そういうとき、迷った心を再び仏の教えに向かわせるのが「ご供養」や「導き・手取り・法座」です。本会では、この二つに「ご法の習学」を合わせた三つを「基本信行」としていますが、ご供養や法座修行も「ご法の習学」の一環ですから、信仰に根ざした生活すべてが「習学」の二文字に集約されるといえましょう。

                   では、どうして私たちがこのように「習学」できるのかといえば、先の経文の前段に「但一乗の道[どう]を以て 諸[もろもろ]の菩薩を教化[きょうけ]して 声聞[しょうもん]の弟子なし」(㊂P.81.9~10)とあるとおり、私たちに菩薩の精神が宿っているからです。それはつまり、だれ一人として自分だけが幸せになればいいと考える人はいないということです。その意味で私たちが人さまの幸せを願って法を伝えることも大事な「習学」の一つで、自他の一体感という大きな喜びと幸せがそこにあるのです。

                   

                  と、締めくくられた。

                   

                   今月は、第2段落で大切なことをご指導いただいていますので、全文を掲載させて頂きました。5月号では「苦」と「苦しみ」の違いを教えていただき、自分の思い通りにしたいという我執が苦しみになるので、真理基づくものの見方、「智慧」を身につけることが重要であることを学びました。よって、ふれるご縁を通してすべてが仏さまの説法、救いであると思えるように、『基本信行』の「先祖供養」「導き・手取り・法座」の実践を通して、ご法の「習学」を深めることの精進に一層取り組むことを決定させて頂きましょう。

                     

                                                                                                     合掌

                   

                                                                                 立正佼成会 姫路教会

                                                たかとし

                                           教会長 吉 田 高 聡

                   

                   

                   


                  令和元年6月度 姫路教会行事予定

                  0

                    6月 1日(土)   9:00〜    朔日参り(布薩の日)


                    6月 4日(火)   9:00〜    開祖さまご命日

                     

                    6月10日(月) 9:00〜    脇祖さまご命日

                     

                    6月15日(土)   9:00〜    釈迦牟尼仏ご命日(布薩の日)

                     

                    6月28日(金)         感謝のお礼参り(各支部)

                     

                    6月29日(土)〜30日(日)    壮年総会受け入れ

                     

                     


                    令和元年 5月度 教会長のお話

                    0

                       5月号「佼成」の会長先生の「ご法話」を拝読させていただき、感じたことを書かせていただきます。

                       

                       今月は、『 なぜ、苦しみが絶えないのか というテーマを、

                       ◎ 「苦」と「苦しみ」の違い ◎ 「苦」は「智慧」の涌く泉 の2段落でご解説いただいた。

                       

                       まず、『 「苦」と「苦しみ」の違い 』の段落では、

                       

                      〇大きな苦しみをかかえたり、苦労を重ねたりすることを「四苦八苦する」などといいますが、この「四苦八苦」が仏教の言葉であることはよく知られています。

                      〇釈尊はしかし、この「苦」を、いま私たちが一般的に使う「苦しく、つらいこと」という意味で示されたわけではなさそうです。「苦」の語源は「思いどおりにならないこと」を意味する「ドゥッカ」という意味ですから、先の八苦はどれも、「自分にはどうすることもできないこと」を示しています。ところが、それを「なんとかしたい」と望み、そのことにとらわれて諦めきれないと、心に「いやだ」とか「つらい」といった感情が起こってきます。そのとき「苦」は、身心を苛[さいな]む「苦しみ」に変わるのです。

                       このような苦しみの絶えない人間の様子を、法華経では(「経文略」)「欲にとらわれているから、苦しみが絶えない」と説き、さらには(「経文略」)思いどおりにならない事実を受け入れることができないために苛立[いらだ]ち、あくせくして、苦しみを深くする私たちの心のありようを戒[いまし]めるのです。

                       

                       『 「苦」は「智慧」の涌く泉 』の段落では

                       

                      〇私たちのまわりでも、たとえば借金返済の苦しみから逃れようとして、さらによそから借金を重ねる、といった人の話を耳にします。まさに「苦を以て苦を捨てんと欲す」で、それではいつまでたっても苦しみはなくなりません。

                       西行法師[さいぎょうほっし]は「こりもせずうき世の闇にまよふかな身を思はぬは心なりけり」と嘆き、欲望にとらわれ、ふりまわされて苦しむ私たちに、「どうしていつまでも大事なことに気づかず、心を改めないのだろう」と投げかけています。

                       その大事なこととは、直面した「苦」を「苦しみ」へと増長させるのではなくて、「苦」との出会いは「智慧[ちえ]」に目ざめるチャンスでもあると気づくことです。苦しみや悲しみ、怒りやつらさにもつながる「苦」も、そこに感情をまじえなければ「無記[むき]」、つまり善でも悪でもないのですから、それをどのように受けとめ、制御するかで、その後の人生に大きな違いが生まれてきます。

                      〇「苦」から逃げずに、それをそのまま受け入れる覚悟ができると、その「苦」は「智慧」の湧き出る泉ともなります。私たちが本来もっている「智慧」がはたらきだすには「苦」が必要だったと受けとれば、「苦」は楽しみに向かう大切な道しるべとなり、その「苦」も抜き去られるのです。

                       これが、「苦」があっても苦しまない生き方といえるでしょう。そしてそのことを、仏教では四諦[したい]の法門など数々の教えで伝えています。ただ、それらを学んでも、私たちはいざ苦に出会うと悩み苦しむのですが、それでもいいと思うのです。苦しい思いをしなければ、仏さまの教えという「幸せにつながる道」を歩んでいないかもしれないのですから。

                       

                       と、締めくくられた。

                       

                       今月は、「苦」のとらえ方をご指導いただきました。やはり自分の見方・考え方が、現象を善悪でとらえ、自分の都合に合えば「善」、不都合であれば「悪」ととらえているということに気づかされます。

                       特に第二段落で、「苦」から逃げずに、それをそのまま受け入れる覚悟ができると、その「苦」は「智慧」の湧き出る泉ともなります。 と説かれ、四諦の法門「苦諦」では、『人生苦から中途半端な逃げかくれをしないで、その実態を直視し見極めること』と解説いただいています。

                       方便品の「開示悟入[かいじごにゅう]」から仏知見[ぶっちけん]の道に入ることで、「苦」を受け入れられるようになれると、学ばせていただいています。また、方便品では、自らの「仏性」に気づくことの重要性も説かれています。

                       あらためて、自らの信仰の目的をかみしめ、仏知見を身につける精進をさせていただこうと、決定させていただきます。  

                         

                                                                                                         合掌

                       

                                                                                     立正佼成会 姫路教会

                                                    たかとし

                                               教会長 吉 田 高 聡

                       

                       

                       


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