11月度 教会長のお話

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     11月号「佼成」の会長先生の「ご法話」を拝読させていただき、感じたことを書かせていただきます。

     今月は、『「思いやり」を、いつも心に』というテーマを、

     

    〇 「安楽」なときが「正しい」とき  〇 「救ってあげられたら」と願うだけで の2段落でご解説いただいた。

     

     まず、『「安楽」なときが「正しい」とき』の段落では、

     

     心が安らかで楽しいとき、たとえそれが温泉につかっているときであっても、私たちは、思い煩いや恨みつらみといった感情を離れているのではないでしょうか。迷いやとらわれが心からするりとほどけ、何にも縛られない、安らかでのびのびとした自分がそこにいます。

     「仏[ぶつ]」という漢字は、日本語で「ほとけ」と読み、執着[しゅうじゃく]・こだわりから解き放たれた「ほどける」が転じたものという説があります。ですから、ほんのひとときでも、安楽で、なんの心配もないときがあるとすれば、それはまさに自分を縛るものから離れた「仏の境地」といっていいのかもしれません。

     ところで仏教では、「心を常に正しい方向に向ける」ことが大切といわれます。これは、釈尊が最初の説法で説かれた「八正道」の七番めに示された「正念[しょうねん]」のことです。

     ただ、「正しい方向とは何かが、よくわからない」というのが、多くの人の本音だと思います。端的にいえば、「仏」や「真理」に心を向けることですが、これも少しわかりにくいといわれそうです。そこで、私なりに理解するところでいうと、先にお話ししたような「心がほどけ、安らかで楽しいとき」こそ、心が正しい方向にあるといえると思うのです。

     しかし、一瞬やひとときではなく、心を「常に」正しい方向に向けるとなると、話がまた少し難しくなります。

     

     『「救ってあげられたら」と願うだけで』の段落では

     

    法華三部経の一つである仏説観普賢菩薩行法経に、「もろもろの迷いや煩いから離れ、安楽で淡々とした心を保ちたいのであれば」という、私たちにとっては願ってもない問いと、その答えともいうべき一節があります。

     それは、「当に大乗経[だいじょうきょう]を誦[じゅ]して 諸[もろもろ]の菩薩の母を念ずべし」。すなわち、朝夕の読経を習慣とし、「慈悲、思いやりの心をもって生きよう」と願うことだというのです。これは、常に心安らかで楽しく生きるための大きなヒントであり、私たちにとっては思いのほか身近な実践といえるのではないでしょうか。しかも、「思いやりをもちなさい」という命令形ではなくて、「思いやりをもって生きようと願うことが大切」というのも受け入れやすいところです。

     ときおり、「慈悲がなかなか身につかない」と嘆く人がいます。しかし、その人はまさに「思いやりをもって生きよう」「あの人を救ってあげられたら」と願っているからこそ、そのことで思い悩むのでしょう。つまり、その人はもうすでに、思いやりの心が身についているのです。

     それでも「安楽」どころか、雑念に惑わされて心が騒ぐときには、尾崎放哉[おざきほうさい]の一句が参考になるかもしれません。「人をそしる心をすて豆の皮むく」。心が怒りや貪りなどの感情に支配されそうになったら、まずは目の前のことに打ちこむ ―― それも「正念」をとり戻す一つの方法です。

     また、「正念」の意味を「気づかい」「心くばり」と表現する人もいますが、茶道の裏千家前家元である千玄室[せんげんしつ]師は、「『あなたがお幸せでありますように』、ただその一念で相手に仕える」といわれます。雑念を捨て、自分の「いま」に集中する。さらに、自分の思いは差し置いて、人さまが喜ぶように、幸せでありますようにと願いつつ、心を一つのことに向ける。それもまた「正念」でありましょう。

     「正念」 ――「八正道」の、まさにここが正念場です。思いやりに根ざした安らかで楽しい心をわが心とするとき、次の「正定[しょうじょう]」が真にいきいきとした実践徳目となるのです。

     

     と、締めくくられた。

     

     今月は「八正道」7つ目の、「正念」を学ばせていただきました。

    ありがたいご指導でしたので、ほとんどを紹介いたしました。

     ご本仏さまの前では足りない私たちが、「念じる」ということは、手取りを通じて、信者さんの救いを願うときや、法師としてお役を果たさせていただくときの極意だと思います。

     仏さまの願いにかなうように、真心からのご供養に取り組むことからはじめることを、生誕会で開祖さまにお誓いさせていただきます。

     

                                                                          合掌

     

     

                                                                   立正佼成会 姫路教会

                                  たかとし

                             教会長 吉 田 高 聡

     

     

     


    11月度 姫路教会行事予定

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      11月 1日(木)   9:00〜    朔日参り(布薩の日)

               19:00〜21:00  夜間朔日参り(当番高砂支部)

       

      11月 4日(日)   9:00〜    開祖さまご命日

       

      11月10日(土) 9:00〜            脇祖さまご命日


      11月15日(木)   9:00〜    開祖さま生誕会

                        釈迦牟尼仏ご命日(布薩の日)

               19:00〜21:00    夜間開祖さま生誕会

       

      11月25日(日) 10:00〜    仏教研究会

       

      11月28日(水)         感謝のお礼参り(各支部)

       

       

       

       


      10月度 教会長のお話

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         10月号「佼成」の会長先生の「ご法話」を拝読させていただき、感じたことを書かせていただきます。

         今月は、『自他ともに心楽しい精進を』というテーマを、

         

        〇 樹木が紅葉するように  〇 本来の自分に出会う 

        の2段落でご解説いただいた。

         

         まず、『樹木が紅葉するように』の段落では、

         

          紅葉[もみじ]してそれも散行[ちりゆ]く桜かな

         暦の上では秋を迎えたこの時季の趣を、俳人の与謝蕪村がこのように詠んでいます。桜の葉が、ほかの樹木に先んじて色づき散るようすを描写した句ですが、春の花がみごとに咲き、散っていく姿を重ねあわせると、与えられた生をひたむきに全うする桜木のありように胸を打たれます。

         私たちは、ものごとにいっそう勤め、励むときなどに、努力とか精進という言葉を使います。そのためでしょうか、ひたむきな努力や精進と聞くと、骨の折れる、苦しいことに感じられます。信仰においても、「精進、精進、死ぬまで精進、生まれ変わったらまた精進」といった意気込みにふれると、思わず気圧[けお]される人もいそうです。

         ただ、精進というのは、本来、気負って努めることでも、苦しみに耐えながら励むことでもないと思うのです。

         私たちがよく口にする「精進しましょう」は、「まじり気のない自分本来の力を、まっすぐに発揮していこう」という意味と受けとることができるのです。

         そう考えると、冒頭の句のような、桜の葉が紅葉し、散るといった自然の営みは、すべてが精進のありようを示すお手本といえます。そして私たちも、絶えず創造・変化する自然の一部ですから、「天地自然の理[ことわり]に随って生きるように」と勤めることが精進であり、「八正道」に示される「正精進」とは、そのことをいうのではないでしょうか。

         

         『本来の自分に出会うの段落では

         

         ただ、樹木と違って、私たち人間には自分本位の我が出ることがあります。好き嫌いや善し悪しなど自分のものさしがあり、目の前の現象を素直に受けとれなくなるときがあります。そのとき、心を真理にそわせていく工夫をこらすことが「精進する」ということで、その工夫、つまり、ときに応じた精進のあり方を、釈尊はさまざまに説き示されています。

         たとえば、『心田を耕す』でも紹介した詩偈[しげ](スッタニパータ等)の中の、「恥じる」「内省する」「身と言葉を慎む」「過食しない」「真実を守る」「柔和」などの姿勢をとおして、ときどき顔をだす自分のわがままな心を反省したり、懺悔したりしながら本来の自分に帰るのです。ただし、やはりどれも気負って努めることではなく、むしろ自分もまわりの人も、ともに心楽しくなるような工夫ととらえてみてはどうでしょう。

         少し言葉を慎むだけで調和が生まれ、柔和に接することで相手の心がほぐれます。腹八分目で体が楽なのは、だれもみな体験していることでしょう。

         以前、まるでこの詩偈を写したかのような、「正精進の心で日々をすごす誓い」を機関誌で見たことがあります。「人の喜ぶことをしよう」「人に親しまれる自分になろう」「自分に恥じない行動をしよう」「人にはやさしく親切にしよう」「絶対に怒らない自分になろう」。このことを日々くり返し自分に言い聞かせ、ときには反省しながら仏道を歩む喜びを語っておられたのです。それは、精進をとおして本来の自分に出会う喜びだと思います。そして、この本来の自分とは、いうまでもなく仏性にほかなりません。
         

         と、締めくくられた。

         

         今月は「八正道」6つ目の、「正精進」を学ばせていただきました。

        会長先生は、「精進というのは、本来、気負って努めることでも、苦しみに耐えながら励むことでもないと思うのです。」と、第1段落でご指導くださいました。また、「精進」とは「自分もまわりの人も、ともに心楽しくなるような工夫ととらえてみてはどうでしょう。」そしてそれは、本来の自分(仏性)に出会う喜びであると、締めくくられました。

         法華経は自覚の教えと言われます。本来の自分を自覚し、明るく・やさしく・温かな自分になれるよう、精進・向上を求めて、三つの基本信行に、気負わず、休まず取り組みましょう。

         

                                                                              合掌

         

         

                                                                       立正佼成会 姫路教会

                                      たかとし

                                 教会長 吉 田 高 聡

         


        10月度 姫路教会行事予定

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          10月 1日(月)   9:00〜    朔日参り(布薩の日)

           

          10月 3日(水)〜4日(木)      団参 

           

          10月 4日(木)   9:00〜    開祖さま入寂会

           

          10月10日(水) 9:00〜            脇祖さまご命日

           

          10月13日(土) 9:00〜    日蓮聖人遠忌法要


          10月15日(月)   9:00〜    釈迦牟尼仏ご命日(布薩の日)

           

          10月21日(日) 10:00〜    「私の『発』サンガフェスティバル」

                            於:姫路市立花北広場体育館

           

          10月26日(金) 13:30〜    全国戦災都市空爆死没者

                            慰霊と平和の祈り(手柄山)

           

          10月28日(日) 13:30〜14:00 平和の祈り:壮年部(護国神社)

           

          10月28日(日)         感謝のお礼参り(各支部)

           

           

           


          9月度 教会長のお話

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             9月号「佼成」の会長先生の「ご法話」を拝読させていただき、感じたことを書かせていただきます。

             今月は、『あらゆる「いのち」に奉仕する』というテーマを、

             

            〇 感謝し、仕える  〇 正しい命の使い方 

            の2段落でご解説いただいた。

             

             まず、『感謝し、仕える』の段落では、

             

             私たちは、生きていくために必要な衣食住のそれぞれを、随時、手に入れなければなりません。そのことについて、仏教では「正しい生活法によってそれを求めるように」と説かれています。

            「八正道」の5番目に掲げられる「正命[しょうみょう]」のことで、「正しい仕事によって生計を立てる」ということになります。すると、「正しい仕事」の「正しい」とは、どういうことなのか。

            「仕事」は漢字で「事に仕える」と書きますが、仕えるというのは偉大な存在に随うことですから、仕事の対象となる相手や物を尊[とうと]、敬[うやま]い、感謝の念をもって、与えられた役割に一所懸命とりくむ――そのような姿勢が、「正しい」の意味するところ。

             また、平澤興先生は、「朝には、希望と張り合いをもって仕事をはじめ、夕には、その日の仕事を終わり、感謝をもって、緊張をときほぐし、静かに喜びながら、万物を拝む気持ちになることです」といわれています。あらゆるものを拝む気持ち、感謝の念は、仕事はもちろん、私たちの生活すべてにわたる「正しい」生き方の根本だということ、そして、その気持ちがあれば、不平や不満を抱くことなく、素直に、喜びをもって目の前のことに打ち込むことができる。

             

             『正しい命の使い方の段落では

             

             仕事に限らず、日常生活で目の前のことに一所懸命に尽くすことが、「正しい命の使い方」ということもできそう。

             「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ」と、釈尊は願われました。

            私たちの手に余る大仕事に思えますが、けっしてそうとはいえません。あらゆる「いのち」が幸福になるための貢献が、私たちにもできるのです。私たち一人ひとりが、暮らしの中の小さなひとコマもおろそかにしないで、「正しい命の使い方」につとめればいいのです。私たちはみな、物心共に世界じゅうのあらゆる「いのち」と、網の目のようにつながっているからです。

             「八正道」について考えるとき、「正見は実践の始まりであって、また終わりである。つねに正見から外れないようにしなければならない」という一文がある。

             私たちは「正見」「正思」「正語」「正行」、そして今月の「正命」の各徳目について、一つ一つそれができるかどうかにとらわれがちです。しかし、ものごとをありのままに見る「正見」がすべての基本で、慈雲尊者[じうんそんじゃ]は「見処が正しくなければ、余事はみな黒闇だ」と断言しています。

             脇祖さまは、信者さんの救いに徹するなか、「朝寝坊がいけない」などの厳しい指導をされました。仏さまの教えは基本を大事にしてこそ輝き、信仰とは日々の暮らしそのものだということを教えられたのでしょう。

             9月10日は、その脇祖さまの報恩会[ほうおんえ]です。
             

             と、締めくくられた。

             

             今月は「八正道」の5つ目の、「正命」を学ばせていただきました。

            「八正道」を学んでまいりましたが、まず「正見」ができることが大前提であります。

            5月号で会長先生は、「正見でものごとを見る」ことは、「天地自然のはたらきを素直に見ること、いま・ここに生きているという事実に感謝できること」と教えていただきました。

            そのような見方を身につけさせていただくために、「正思」「正語」「正行」の、身・口・意 三業を清め、「正しい命の使い方」を理解し、精進させていただくことが重要だと感じさせていただきました。

             

             脇祖さまに倣い、おおいに善業を積ませていただき、進歩・向上を求めて、三つの基本信行に取り組みましょう。

             

                                                                                  合掌

             

             

                                                                           立正佼成会 姫路教会

                                          たかとし

                                     教会長 吉 田 高 聡

             

             


            8月度 教会長のお話

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               8月号「佼成」の会長先生の「ご法話」を拝読させていただき、感じたことを書かせていただきます。

               今月は、『敬う心と恥じる心』というテーマを、

               

              〇 仏さまからのアドバイス  〇 「正行[しょうぎょう]」が当たり前に 

              の2段落でご解説いただいた。

               

               まず、『仏さまからのアドバイス』の段落では、

               

               今月は、「八正道」の「正行」について考えてみましょう。「正行」は、仏教の辞典で「正業[しょうごう](正しい行ない)」とも示され、「身[しん]・口[く]・意[い]の三業[さんごう]」といわれるうちの、「身の行ない」(身業[しんごう])における正しいあり方のことです。

               それでは、正しい身の行ないとはどういうことでしょうか。解説書には、不殺生[ふせっしょう]、不偸盗[ふちゅうとう]、不邪淫[ふじゃいん]の三つ、すなわち「生き物を殺さない」「盗みをはたらかない」「邪[よこしま]な男女関係を結ばない」ことが、正しい身の行ないとあります。

               発句経[ほっくぎょう]に「すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」とあるように、自分が殺されたり、何かを盗まれたり、道ならぬ関係で苦しむ立場になることを思うと、人さまに対してけっしてそのようなことはできません。

               釈尊は、私たちがこの世で味わう苦から解放される道を悟られた方ですが、何が苦悩の原因となるのかを見極められたうえで、これらを示されたのでしょう。その意味では、戒めというよりも、私たちが日々を明るく、楽しく生きるための助言と受けとめるほうが自然に思えます。「このことを忘れなければ家庭も社会も平和で、楽に生きられますよ」という、釈尊からの温かなアドバイスということです。

               

               『「正行[しょうぎょう]」が当たり前に』の段落では

               

               「生き物を殺さない」「盗みをはたらかない」「邪[よこしま]な男女関係を結ばない」ことが正しい身の行い――確かに、それは正しいに違いなく、殺生や盗みは法律にふれる対象でもあります。それでも、「してはならない」という禁止事項が「正しい行ない」といわれると、心理的に「正行」のハードルが高く感じられます。「戒律を守らなければならない」と意識する以前に、いつでも自然に「苦悩しないですむような行ない(正行)をせずにはいられない」ようになればいいのです。

               そこでキーワードになるのは、敬う心と恥じる心です。

               安岡正篤氏が「敬うという心は、言い換えれば少しでも高く尊い境地に進もう、偉大なるものに近づこうという心である。したがってそれは同時に自ら反省し、自らの至らざる点を恥ずる心になる」と述べているとおりですが、私たちにとって救いになるのは、その先です。この言葉は、こう続きます。「省みて自ら懼[おそ]れ、自ら慎[つつし]み、自ら戒めてゆく」――敬して己を恥じる心が生まれたら、おのずから至らない自分を危ぶみ、神仏の願いにそった行動を心がけるようになる、というのです。これは、「仏とその教えに帰依すれば、正行が当たり前の人間になれる」と受けとめることができます。

               また、敬う心と恥じる心は、進歩・向上を求める人間の本能に通じるともいわれます。すると、つい我を忘れて道を踏みはずしそうになる私たちを、本来の人間らしい生き方に立ち戻らせるのも、この二つの心といえましょう。

               「正しい行ない」とは、「敬と恥」の二つに支えられたふるまいということができそうですが、その心と行ないは、日ごろの人間関係から国家の関係に至るまで、そこに和を築く大切なものです。それは、道を見失いがちなあらゆる場面でいま、大きな力を発揮するものだとも思うのです。

               

               と、締めくくられた。

               

               今月は「八正道」の四つ目の、「正行」を学ばせて頂きました。

              「正行」は「正業」とも示され、「身の行ない」(身業)における正しいあり方のこと、つまり、正しい行為(・はっきりした動機や目的があり ・やろうという意思をもってやった行ない ・よしあしを判断し、決意してやったこと)<行動ではない>が必ず後に残り、人生のさまざまなことがらの原因となると、「業」について教えていただいています。

               

              おおいに善業を積ませていただき、進歩・向上を求めて、三つの基本信行に取り組みましょう。

               

                                                                                    合掌

               

                                                                             立正佼成会 姫路教会

                                            たかとし

                                       教会長 吉 田 高 聡

               

               


              8月度 姫路教会行事予定

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                8月 1日(水)   9:00〜    朔日参り(布薩の日)

                        19:00〜21:00  夜間朔日参り

                            (当番:姫路西支部・加古川第一支部)


                8月 4日(土)   9:00〜    開祖さまご命日

                                 ゆめポッケ発送式(式典後) 

                 

                8月10日(金) 9:00〜            脇祖さまご命日

                 

                8月11日(土)〜14日(火)    自由参拝


                8月15日(水)   9:00〜    釈迦牟尼仏ご命日(布薩の日)

                                 戦争犠牲者慰霊・平和祈願の日

                 

                8月25日(土)〜26日(日)    壮年部団参

                 

                8月28日(火)         感謝のお礼参り(各支部)

                 

                 

                 


                7月度 教会長のお話

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                   7月号「佼成」の会長先生の「ご法話」を拝読させていただき、感じたことを書かせていただきます。

                   今月は、『和らぎをもたらす言葉』というテーマを、

                   

                  〇 正直に、誠実に  〇 かなしみを抱いて 

                  の2段落でご解説いただいた。

                   

                   まず、『正直に、誠実に』の段落では、

                   

                   釈尊の基本的な教えである「八正道」の一つに、「正語[しょうご]」がある。

                  その意味は、真理にかなう言葉を語るということ。ふだんは「正しく語る」ことをほとんど意識していない。よって、「正語」と言われても、すぐに生活実践と結びつく人は多くないかもしれない。それでも、日ごろ人と接する際、私たちはその場が和むような会話を自然にしているはずです。なぜなら、そのほうが楽しいからであり、そして、安らぐからです。

                   「正語」は「有益な言葉を語る」と受けとめることもできるが、調和や和合は私たちが生きるうえでたいへん重要なこと、有益なことですから、その場が和らぐ言葉は、まさに「正語」と言える。 

                   ただ、私たちはときに、調和や和合を乱すような言葉を使ってしまいます。その第一は、自分に都合のいい嘘をついたり、真実を偽って伝えたりすることです。

                   釈尊は、在家の弟子に向けた説諭のなかで、「他人に向かって偽りをいってはならない」と明言されている。嘘は他人を惑わせ、和合を破り、結局は自分を苦しめる。そのように考えると、「正語」を実践するうえで大事なのは、何をどう話すかというよりも、正直に生きる誠実さを忘れないことなのかもしれない。

                   言葉の内容ではなく、対話する相手と向き合う姿勢ということで思い起こすのは、ノルウェー国教会オスロ名誉司教のグナール・スタルセット師の会議での姿勢。国際会議の席で意見が分かれるようなときでも、その場をじつにうまくまとめていかれる。とはいえ、師が饒舌なのではなく、むしろ、寡黙な方。さまざまな声にじっくりと耳を傾け、求められれば穏やかに見解を述べつつ、最後に「では、このようにしてはどうでしょうか」と、皆さんに諮る[はかる]

                   立場の違う人が集まる席では、議論が紛糾することもあります。そこに調和をもたらすのは、人の意見をよく聞いて思いを酌みとる姿勢と、自我を抑えた公平な態度から発せられる言葉だということでしょう。師の示すこの姿勢には「正語」の意味あいの核心が示されている。

                   

                   『かなしみを抱いて』の段落では

                   

                   日本語で、漢字の「愛」は「かなし」という。愛する、慈しむということは、悲しむということであり、母親がわが子を愛おしむ心、といえばわかりやすいかもしれない。「正語」、すなわち「正しく語る」ということのなかには、そうした慈しみ、悲しむ心と、相手の幸せを念ずる情が籠められているのではないでしょうか。

                   「愛語は愛心よりおこる、愛心は慈心を種子とせり」とは道元禅師の言葉であるが、スタルセット師の言葉には、宗教者に共通する慈愛の念が籠められており、だからこそ誰にも受け入れられるのだと思う。良寛さんが放蕩三昧[ほとうざんまい]の甥を改心させたのは、説諭の言葉でも叱責でもなく、甥を思って流したひと筋の涙だった。慈愛に満ちた沈黙によって伝わる「正語」もあるということ。

                   私たちの幸せをだれよりも念じて下さる両親やご先祖の愛心を、この盂蘭盆会の時期にあらためてかみしめてみるのもいいのではないか。

                   

                   と、締めくくられた。

                   

                   今月は「八正道」の三つ目の、「正語」を学ばせて頂きました。

                  『円満な人になる』(4月号ご法話)という目標に向かって、まず、自行をしっかりと身につけることの重要性をお示しいただきました。

                  ❝ 楽しく生きる ❞ ための「正見」(5月号)は、「天地のはたらきを素直に見ること」。

                  ❝ 踏みとどまる ❞ ための「正思」(6月号)は、「『思いやりの心で考える』習慣を身につけること」。

                  そして、❝ 和らぎをもたらす言葉 ❞ としての「正語」は、「正しく語る」ことと、また、「正語」には慈愛に満ちた沈黙によって伝わるものもあると、ご指導をいただきました。

                   

                  「八正道」の学びを深めながら、三つの基本信行の実践に、一層取り組むことを誓願させていただきましょう。

                   

                   

                                                                                        合掌

                   

                                                                                 立正佼成会 姫路教会

                                                たかとし

                                           教会長 吉 田 高 聡

                   

                   

                   


                  7月度 姫路教会行事予定

                  0

                    7月 1日(日)   9:00〜    朔日参り(布薩の日)

                     

                    7月3〜4日           本部団参


                    7月 4日(水)   9:00〜    開祖さまご命日

                     

                    7月 8日(日)   9:30〜    姫路城夏季お城掃除

                     

                    7月10日(火) 9:00〜            脇祖さまご命日


                    7月15日(日)   9:00〜    釈迦牟尼仏ご命日(布薩の日)

                                     盂蘭盆会

                     

                    7月28日(土)         感謝のお礼参り(各支部)


                    6月度 教会長のお話

                    0

                       6月号「佼成」の会長先生の「ご法話」を拝読させていただき、感じたことを書かせていただきます。

                       今月は、『踏みとどまる』というテーマを、

                       

                      〇 まず、ひと呼吸  〇 思いやりの心で 

                      の2段階でご解説いただいた。

                       

                       まず、『まず、ひと呼吸』の段落では、

                       

                       現存する経典のなかで最も古いものの一つとされる法句経[ほっくきょう]に、「走る車をおさえるように、むらむらと起る怒りをおさえる人――かれをわれは<御者[ぎょしゃ]>とよぶ」という一節があります。

                       ここで釈尊は、怒りをコントロールすることの大切さをお諭しくださっています。

                       

                       怒りや欲、自己中心の考えに流されそうになったとき、どうすれば踏みとどまることができるでしょうか。

                       私は、とりあえず「ひと呼吸おく」ことをおすすめします。

                      一度、深呼吸をするだけで少し心が鎮まります。できれば、ひと晩おいて冷静に考えるのも大切なことでしょう。

                       また、信仰をもつ人であれば、心に貪[とん]・瞋[じん]・痴[ち]の黒い雲がわきかけたら、「仏さまはどうお考えになるだろう」「どうなさるだろう」と思いをめぐらせば、冷静さをとり戻せると思います。なかには、神仏のような姿の見えない存在ではなく、「親父ならどうするだろう」「母なら・・・・」と、直接ご縁のあった身近なお手本を思い浮かべ、怒りや欲やわがままな気持ちを落ち着かせる人もいることでしょう。

                       

                       「八正道[はっしょうどう]」の二つめにあげられる「正思[しょうし]」は、「貪・瞋・痴を離れ、仏さまのような大きな心で考える」ということです。それを生活に即していえば、感情や衝動に駆られそうになったら、まず「ひと呼吸」入れて踏みとどまる、というところに、実践※の入り口があるのではないでしょうか。

                           ※三つの基本信行の実践(,感〕棔´導き、手取り、法座 

                                       ご法の習学)

                       

                       『思いやりの心で』の段落では

                       

                       貪欲[とんよく](欲ばり)、瞋恚[しんに](怒り)、愚痴[ぐち](自己中心の愚かさ)という「意の三悪」をなくし、大きな心で考える――その大切さは、みなさんも理解していると思います。ただ、それゆえ「そういう人になりましょう」「欲のとらわれから離れましょう」などといわれればいわれるほど、「いつまでも自分が、欲や怒りや自己中心の心から離れられないダメな人間に思えてしまう」という、あきらめにも似た嘆きを聞いたこともあります。そこで、少し見方を変えて「正思」の内容を吟味し、理解を深めてみてはどうでしょう。

                       

                       欲ばる心、怒りの心、他を蔑[ないがし]ろにする心のないのが「正思=正しく考える」ということですが、それは「分けあう心」「あたたかく接する心」「いたわる心」で考える、と言い換えることができます。そして、それをひとことでいえば「思いやり」にほかなりません。つまり、ここでいう「正しく」とは、「思いやりの心で」ということになります。

                       完璧な人間はいません。ですから、ときには欲張ったり怒ったりする心を抱えながらも、「思いやりの心で考える」習慣を身につけることが大切だということです。

                       そうすると、だれでも仏さまのような大きな心で考え、行動できます。しかし、先の「踏みとどまる」にしても、「思いやりの心で」ということにしても、人生にはそれがほんとうに難しい局面が一再ならず訪れるものです。

                       人とのトラブルなどで激しい感情にふり回されそうなときほど、静かに大自然のありようを想い、心の枠を広げてみましょう。天地自然と私たちが一つであるように、目の前の人とも一つなのだ――そうした気づきによって、私たちは自らの心の<御者>になれます。仏さまのような大きな心で、感謝の人生を歩むことができるのです。

                       

                       と、締めくくられた。

                       

                       

                       今月も、すべてが要点のように解りやすくご指導いただきましたので、ほとんど全文を引用させていただきました。

                       5月号で、しばらくの間、「八正道」を学んでまいりましょう、とご指導いただき、今月は「八正道」二つ目の、「正思」を学ばせていただきました。

                       

                       

                      『 円満な人になる 』という目標に向かって、まず、自行をしっかり身につけることの重要性をお示しいただき、7月以降のご法話が楽しみであります。

                       

                       

                                                                                            合掌

                       

                                                                                     立正佼成会 姫路教会

                                                    たかとし

                                               教会長 吉 田 高 聡

                       

                       

                       

                       


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