令和2年4月度 姫路教会行事予定

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    ※「新型コロナウイルス」への対応のため、今月の教団行事および

      教会における行事予定を、5/15(金)まで一部変更いたします。

      但し、事態に進展が見られなければ再延長する場合もあります。  

     

    ※【一般参拝なし】: 感染拡大を避けるため、参拝をご遠慮ください。

     

     4月 1日(水) 9:00〜  姫路教会発足56周年記念読経供養

                              【一般参拝なし

     

     4月 4日(土)   9:00〜  開祖さまご命日   【一般参拝なし

                    進級入学おめでとう会 【中止】

     

     4月 5日(日) 9:00〜  降誕会・花まつりキャンペーン【中止】

     

     4月   8日(水) 9:00〜  降誕会の読経供養と啓白文奏上 

                              【一般参拝なし

     

     4月10日(金) 9:00〜      脇祖さまご命日   【一般参拝なし


     4月15日(水)   9:00〜  釈迦牟尼仏ご命日(布薩の日)

                              【一般参拝なし

     

     4月29日(水) 9:00〜  緑の美化キャンペーン

                           【佼成会より参加なし

     

     

     

     

     

     


    令和2年3月度 教会長のお話

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       令和2年3月号「佼成」の会長先生の「ご法話」を拝読させていただき、

      感じたことを書かせていただきます。

       

      今月は、『満足できる幸せ』というテーマを、

      ○ 「欲をはなれると」 ○ 「感謝こそ」 の2段落でご解説いただいた。

       

       まず、「欲をはなれると」の段落では、

       

       「よく深き人の心と降る雪は 積もるにつけて道を忘るる」この道歌

      [どうか]のとおり、欲の皮が張っていると、人は、人として歩むべき道を

      いつしか見失ってしまいます。

       今月、創立八十二周年を迎える本会を、開祖さまとともに開いた脇祖さ

      は、逆に、常々「欲をはなれると徳がくる」と話していたそうです。

       欲は自然のものですから、生きるうえでは必要なのです。ただ、必要

      以上に欲が深い人は、「あれがほしい」「これも自分の思うとおりにし

      たい」と私利私欲にとらわれるあまり、人への思いやりが二の次になり

      がちです。心が、「我」=「自分のこと」でいっぱいの状態だからです。

       ところが、何ごとにつけ、ほどほどのところで満足できる人は、人の

      ことを考えるゆとりもありますから、たとえば好物が手に入っても「一人

      で食べてはもったいない。人にも分けてあげよう」という気持ちが自然に

      湧いてきます。そもそも、ほどほどをわきまえている人にとって、必要以

      上のものは欲しないといえましょう。

       そうした人間らしい思慮[しりょ]や、他を思いやる気持ちが行動となって

      あらわれることを、脇祖さまは「欲をはなれると徳が来る」といったのだ

      思います。

       

       「感謝こそ」の段落では

       

       法華経の「見宝塔品[けんほうとうほん]」に、法華経の教えを学び、実践する

      人は、ほんとうの意味で精進する人であって、「是れを戒[かい]を持[たも]

      頭陀[ずだ]行ずる者と名[なづ]」とあります。

      辞書によれば「煩悩[ぼんのう]を振るい落とし、払い除く」のが「頭陀」の

      意味で、一日一食を守るとか、ボロ布で作った衣を着るなど、そのための

      精進が「頭陀行」です。

       頭陀行といえば、「頭陀第一」と呼ばれた摩訶迦葉[まかかしょう]が思い浮か

      びます。摩訶迦葉は「衣や食や寝床などに、いっさい文句をいわず、満足

      する者である」と伝えられています。

       現代の私たちには、実践するのが難しいように思えますが、「何ごとに

      対しても、不足を口にしないで満足する」というのは、授かったものに感

      謝して、自分勝手な「よしあし」をいい立てないということです。それに

      頭陀行をごく簡単に「少欲知足[しょうよくちそく]」と説明する文献もあります

      から、欲を少なくして足ることを知る生き方、与えられたものをできる限

      り素直に受け容れて、感謝のうちに暮らすことは、私たちが日ごろから心

      がける姿勢と重なるものです。

       また、自分自身の容姿などについて、それがなんであれ「よしあし」を

      いうのは、「自分の命に対する不殺生戒[ふせっしょうかい]をおかすことになる」

      と学んだことがあります。その意味では、何ごとにも「よしあし」をい

      ない生き方は、先に述べた経文の「戒を持ち」ということにも一致しま

      す。しかも、それができるのは、法華経を学ぶことで感謝に目ざめるから

      と受けとめられます。だとすると、法華経をとおして仏の教えを学ぶ私

      ちは、いつでも「満足できる幸せ」のただなかにいるといってもいいの

      もしれません。

       しかし、そのように理解していても、ものごとを感謝で受けとれないと

      きがあります。そうしたときには、合[がっしょう]・礼拝[らいはい]などの「形」

      ら入ることも大切です。

      生きていくなかで、授かったすべてに合掌する ―― そこに感謝と喜びが

      あり、ほんとうの満足と幸せがあるのです。

       

       と、締めくくられた。

       

      今月は創立記念月です。開祖さまが「現実に人を救い、世を立て直そう」

      という熱意で82年前に創立いただき、脇祖さまは、救われていくための

      実践を、「欲をはなれると徳がくる」と菩薩行の意味を分かりやすくお示

      しいただいていました。「欲をはなれる」行の在り方は「頭陀行」。頭陀

      行を簡単に言うと「少欲知足」、すなわち、欲を少なくして足ることを知

      る生き方、与えられたものをできる限り素直に受け容れて、感謝のうちに

      暮らすこと、ともご指導いただきました。

      「見宝塔品」の後半には、「令法久住(りょうぼうくじゅう)」の仏勅が

      あり、末世にこの教えを説くことを願われた、その本仏の願い、開祖さま

      の願いに応えるべく法師の自覚に立って、布教伝道することをお誓いした

      いと思います。

                                    合掌

       

                                                                     立正佼成会 姫路教会

                                     たかとし

                                教会長 吉 田 高 聡

       

       

       

       

       


      令和2年3月 姫路教会行事予定

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        ※「新型コロナウイルス」への対応のため、今月の教団行事および

          教会における行事予定を一部変更いたします。  

         

        ※【一般参拝なし】: 感染拡大を避けるため、参拝をご遠慮ください。

         

         3月 1日(日) 9:00〜  朔日参り(布薩の日)【一般参拝なし

         

         3月 4日(水)   9:00〜  開祖さまご命日   一般参拝なし

         

         3月 5日(木) 9:00〜  教団創立82周年記念日一般参拝なし

         

         3月10日(火) 9:00〜      脇祖さまご命日   【一般参拝なし


         3月15日(日)   9:00〜  釈迦牟尼仏ご命日(布薩の日)

                                 【一般参拝なし

         

         3月17日〜23日     春季彼岸会

                            【最少人数でご供養のみ】

         

         3月28日(土)       感謝のお礼参り  【中止

         

         

         

         


        令和2年2月度 教会長のお話

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           令和2年2月号「佼成」の会長先生の「ご法話」を拝読させていただき、感じたことを書かせていただきます。

           

          今月は、『生きがいをみつけよう』というテーマを、 

           ◎ 「お前も、死ぬぞ」 ◎ 生きる意味とは の2段落でご解説いただいた。

           

           まず、『「お前も、死ぬぞ」』の段落では、

           

           二月は、涅槃会[ねはんえ]の月です。涅槃会は、釈尊ご入滅の日とされる2月15日に、仏教徒がそのお徳をたたえ、仏の教えの学びを深める日ですが、では、ご自身の「死」をとおして、釈尊は私たちに何を伝えられたのでしょうか。

          私は、「生きとし生けるものは、みな、いつか必ず死を迎える」という実相[じっそう]を示されたのだと受けとめています。

          仏教では「生死一如[しょうじいちにょ]」といいますが、生きることと死ぬことは、一セットです。生があり、死があってこそ「命」なのです。ところが、私たちはその一方の「死」を、なかなか受け容れられません。多くの人にとって「死」は、恐ろしくて、避けてとおりたいものといえるでしょう。しかし、だからこそ釈尊は、「お前も、死ぬぞ」と、この世の実相を、身をもって語りかけてくださったと思うのです。

           ただ釈尊は、もちろんご自身の死をとおして、そのことだけを教えているわけではないと思います。生まれては死に、死んでは生まれ、という「いのち」の大きな流れのなかで、私たちが人としてこの世に生まれ、生きる意味をも教えているといえないでしょうか。つまり、ただ死ぬためだけに生まれてきた人は、一人もいないということです。

           法華経の法師品[ほっしほん]に「衆生を愍むが故に此の人間に生ずるなり」とあります。この経文に照らせば、悩みや苦しみの絶えない私たち人間を見かねて、釈尊がこの世にお出ましになったと受けとめることができます。そして、それは釈尊だけではないはずです。そのことをふまえて、つぎに私たちの生きる意味について考えてみましょう。

           

           『生きる意味とは』の段落では、

           

          法師品には、苦しみの多いこの世に、私たちは願って人間として生まれてきたというのです。見方を変えると、苦難もあれば喜びもある娑婆[しゃば]世界だからこそ、そして、私たちが真理や実相をつかむことのできる人間であればこそ、いまここに生きているということになります。

           身近な人や家族、あるいは自分が、病気をしたり、亡くなったりするのは、ほんとうにつらく、悲しいことです。ただ、そのつらさや悲しみやおそれを心底味わうと、真実を見る目が開かれます。それは、苦しみ、悲しみ、つらさそのものが、救いのいとぐちになるということです。

           そして、ここでいう「救い」というのは、たとえ人生のどん底であえいでいるときでも、そこに生きる意味や生きがいを見出し、前向きの力に変えていくことです。

           救いとか生きがいといっても、おおげさに考えることはありません。ささやかでも、あなたにしかできないことを喜びとして、それがまわりの人に喜ばれる、といったことです。それが、生きる意味や生きがいの核心ではないでしょうか。

           私たちは、運命という自分ではどうにもならないことを、一つ一つ受け容れながら、そのつど前向きな価値を見つけて生きていくことが大切なのです。

           それは、悟りとも気づきともいえるものですが、その繰り返しが人生なのでしょう。良寛は「世の中に何が苦しと人問[と]はば 御法[みのり]を知らぬ人と答えよ」と詠んでいますが、仏の教えをいただく私たちは、いつ、どのようなときも、生きがいをもって生きる法をすでに頂戴しているのです。

           

          と、締めくくられた。

           

           「佼成新聞」(1/5付)、「御親教」のお書初めで、「尋常」(つね日ごろをたずねる)。私たちは、何のために信仰をしているのか、つねに足元をふり返ることが大切と、会長先生からお示し頂きました。また、信行方針の「即是道場[そくぜどうじょう]」にもふれられ、その精神は、困難に出遭ったときには「人間として成長するきっかけを頂いた」「ここが踏ん張りどころだ」という受け取り方をし、身を置く所すべてが道場と思い、目の前のことに最善を尽くすこととご指導頂きました。

           今月は、節分を迎えます。いよいよ七赤金星の年になりました。あらためて、お互いの今年の精進目標を設定する参考に法師品の「願生此間」この世に生まれてきた意味の自覚と、「五種法師[ごしゅほっし]」の実践を確認させて頂き、今月といわず、今年一年、一所懸命精進させて頂きましょう。

                                        合掌

           

                                                                         立正佼成会 姫路教会

                                         たかとし

                                    教会長 吉 田 高 聡

           

           

           

           


          令和2年2月度 姫路教会行事予定

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             2月 1日(土) 9:00〜    朔日参り(布薩の日)

             

             2月 2日(日) 9:00〜    節分会

             

             2月 4日(火)   9:00〜    開祖さまご命日

             

             2月10日(月) 9:00〜            脇祖さまご命日

             

             2月14日〜15日        本部(涅槃会)団参


             2月15日(土)   9:00〜    涅槃会(布薩の日)

                             〔吉田教会長:お説法〕

             

             2月28日(金)         感謝のお礼参り

             

             2月29日(土) 15:00〜    新宗連兵庫県協議会学習会

             

             2月29日〜3月1日       本部団参

             

             

             


            令和2年1月度 教会長のお話

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               令和2年1月号「佼成」の会長先生の「ご法話」を拝読させていただき、

              感じたことを書かせていただきます。

               

              今月は、『ほんとうの自分に帰る』というテーマを、◎ 一年をどうすご

              すか ◎ 素直に、謙虚に の2段落でご解説いただいた。

               

               まず、『一年をどうすごすか』の段落では、

               

              「かたちなき時間といへど一年が ゆたけきままにわが前にあり」(佐藤

              佐太郎)という歌があります。新たな年を迎えた私たちの前には、まさに

              豊かで、まっさらな「時」が広がっています。

               そして、この一年を真に豊かなものにするのは、ほかでもない、私たち

              自身です。日々に出会う人やものごとは、すべて、自分が因となり、縁と

              なって生じているものです。さらにいえば、遠い世界のできごとでさえ

              も、自分と無縁のことは一つもないと受けとめれば、どのような一年にす

              るかは、すべて自分にかかっているといえるのです。

               それはまた、一年をかけて自分をどのように成長、進化させていくかと

              いうことでもあるでしょう。

               さて、法華経の「授学無学人記品[じゅがくむがくにんきほん]」は、釈尊が一子・

              羅睺羅[らごら]や、侍者としてつねに付き随う阿難[あなん]に対して授記を与え

              る章です。羅睺羅の授記[じゅき]に際して、釈尊は「羅睺羅の密行[みつぎょう]

               唯我のみ能くこれを知れり」と称えています。増谷文雄先生は、羅睺羅

              について、舎利弗[しゃりほつ]のような智慧[ちえ]に恵まれているわけでもなく、

              富楼那[ふるな]のように雄弁でもなかったけれど、「彼を見守る人々の苦心

              と、彼じしんの必死の努力によって、密行すなわち教団のさだめをるこ

              とにおいては、もっとも綿密な修行者」にまで成長したと述べています。

               舎利弗や富楼那のような智慧や才能の持ち主を尊敬する一方で、特別な

              才に恵まれていなかった羅睺羅に対して、共感を覚えるのは私だけではな

              いと思います。そして、私たちが自身の成長や進化を考えるうえで、羅睺

              羅の努力とはどのようなものであったのかも気になるところです。

               

               『素直に、謙虚に』の段落では

               

               「密行第一」が羅睺羅に対する尊称です。しかし、そう称えられたの

              は、舎利弗をはじめとする先輩たちの指導や助言を素直に聞き、謙虚に

              なって、人が見ていないときでもひたすら教えを学び実践しつづけたから

              だと、私は思います。釈尊の長男として生まれ、世俗にあったときには、

              父である釈尊に「王宮の財産を私にください」と語った羅睺羅が、出家し

              て法を継ぐことが人生の大事だとわかった時から、身を慎み、常に「素直

              であろ「謙虚であろう」と心して、ただただ静かに精進を重ねる姿

              が、「密行」、つまり羅睺羅の努力だったと思うのです。

               そこには、財を貪る心も、自分の境遇を恨む思いも、釈尊の肉親である

              ことを驕る気持ちもありません。「密行」を重ねるなかで、羅睺羅は全て

              の人が生まれながらに授かっている仏性の有り難さにめざめ、貪・瞋・痴

              などの煩悩を離れた、「ほんとうの自分」に帰ったということです。

               そしてだれもが、その真実の自分に帰ることができます。お互いさま、

              素直さと謙虚さを忘れず、一日一生のつもりで、精いっぱい明るく和やか

              な一年にしてまいりましょう。

               

               と、締めくくられた。

               

              「法華経」は「仏性の自覚と菩薩行の実践」が説かれていると教えていた

              だいています。

               会長先生は、昨年から「佼成」のご法話で、法華三部経一品一品を丁寧

              にご解説頂き、釈尊の目の前の人一人ひとりをいかに救うかという思いを

              具体的に教えていただきました。

               今年の初めに「開三顕一」の最後、「授学無学人記品」によって、仏性の自覚に立った立場で、いよいよ、法師としての実践を誓願するために、羅睺羅の「密行」をお示しいただいたと受けとめます。『素直に、謙虚に』の段落の内容をしっかりとかみしめ、今年も、「惜しみなくつながろう〜菩薩を育てる苗代となろう〜」のマザープログラムを実践し、教団100周年・教会60周年に向け、教会一丸となって布教伝道に取り組みましょう。

                                            合掌

               

                                                                             立正佼成会 姫路教会

                                             たかとし

                                        教会長 吉 田 高 聡

               

               

               

               


              令和2年1月度 姫路教会行事予定

              0

                🎍(明けましておめでとうございます)

                 

                令和2年1月1日 6:30〜    元旦参り

                                  朔日参り(布薩の日)

                 

                 1月 2日(木)〜6日(月)      自由参拝

                 

                 1月 4日(土)   9:00〜    開祖さまご命日

                 

                 1月 7日(火) 8:45〜      御親教

                 

                 1月10日(金) 9:00〜            脇祖さまご命日


                 1月15日(水)   9:00〜    釈迦牟尼仏ご命日(布薩の日)

                 

                 1月19日(日)〜25日(土)    寒中読誦修行(AM 6:30〜)

                 

                 1月19日(日)11:00〜13:00  成人式

                 

                 1月28日(火)         感謝のお礼参り

                 

                 

                 

                 


                令和元年12月度 教会長のお話

                0

                   12月号「佼成」の会長先生の「ご法話」を拝読させていただき、感じた

                  とを書かせていただきます。

                   

                  今月は、『弁を尽くす』というテーマを、◎ 言葉の力 ◎ 富楼那[ふるな]

                  に学の2段落でご解説いただいた。

                   

                   まず、『言葉の力』の段落では、

                   

                   人間が生まれもって授かった心、すなわち「人」としての素朴な感情や

                  意思を、言葉を使ってまわりの人に伝え、コミュニケーションを繰り返す

                  なかで「人間らしい心」が育ってきた。

                  言葉の力はそれくらい大きいわけですが、その一方で、詩人の寺山修司氏

                  は「現代人が失いかけているのは『話しあい』などではなくて、むしろ

                  『黙りあい』だ」と指摘しています。言葉の発達に心の成長が追いつかな

                  いのか、あるいは心が退化しているのか、言葉が人を傷つける道具として

                  使われることも多いのです。言葉の力が大きいだけに、多くを語ることよ

                  りも、いまは沈黙のうちに自らを省みることのほうが重要なのかもしれま

                  せん。

                   では、人とよりよい関係を築くために、私たちは何をどのように話し、

                  伝えることが大切なのでしょうか。

                   

                   『富楼那に学ぶ』の段落では

                   

                   法華経の「五百弟子授記品[ごひゃくでしじゅきほん]」に、説法第一といわれた

                  楼那に対して、釈尊が「能[よ]く其の言論[ごんろん]の弁を尽くすものなけん」

                  (富楼那ほど言葉の力を最大限に駆使し、発揮できるものはない)と称

                  る一節があります。「この人に幸せになってもらいたい」という一心で

                  えを伝えた富楼那の言葉は、よほど強く人びとの心に響いたのでしょう。

                  「言論の弁を尽くす」というのは、知識や才能にすぐれた人が、立て板に

                  水のごとく話すことではないのでしょう。

                   それよりも大事なのは、相手の顔が自然とほころぶような柔和な態度

                  で、思いやりをもって言葉を交わすことです。そうすれば、おのずから話

                  しかける言葉もやさしくなって受け入れやすいものとなり、それが相手の

                  心に届くということではないでしょうか。相手を思う気持ちがあれば、目

                  の前の人の心情はもちろん、生活環境などにも配慮してふれあうでしょう

                  から、その時に伝える言葉は、富楼那に負けないくらいの力を発揮するの

                  だと思います。

                  ただ、私たちにとってハードルが高いと感じるのが、「大切なことをだ

                  にもわかるように」伝えるという部分です。

                   作家の井上ひさし氏は、言葉の使い方について「むずかしいことをやさ

                  しく、やさしいことをふかく」と述べていますが、釈尊の時代から現代に

                  至るまで、人にものごとを伝える基本はあまり変わらないのかもしれませ

                  ん。

                   そこで、これも作文の書き方に関する井上氏の言葉ですが、「単純に、

                  わかりやすく」「自分にしか書けないことを、自分の文章で」という二つ

                  が参考になります。

                   

                   私たちは、自身の体験であれば自分の言葉で語ることができます。味わ

                  った感動や気づきならば、素直に話せます。

                   完璧な人はいませんから、教えの何たるかがよくわからなくても、わか

                  ないまま、「ありがたい」「うれしい」という気持ちとともに、自分の

                  理解に応じて話すことが、「大切なことをだれにでもわかるように」伝え

                  ることなのです。

                   

                  今年、あなたはどのような感動を味わったでしょうか。そして、どんな

                  「大切なこと」を人にお伝えしますか。

                   

                  と、締めくくられた。

                   

                   五百弟子授記品には、「化城諭品[けじょうゆほん]第七」までの説法によって

                  境地に導かれたことを見通された釈尊が十大弟子のひとり富楼那を

                  はじめ、たくさんの弟子たちが成仏の保証を与えられたことが述べられ

                  ています。富楼那は説法第一と言われ、弁舌に優れた人でした。しかも

                  自分の偉さを見せびらかすことがなく、凡俗[ぼんぞく]と同じような生活を

                  していましたし、またおとなしそうに見えても、心の中には本当の意味

                  の勇気をもっている、まことに偉い人でした。

                  富楼那の半歩主義と言われている。

                  11月号では、まず自分がどのような人間になりたいかという「心願」が

                  大事、多くを語るより、当たり前のことをなおざりにせず、日々をてい

                  ねいに生きることを説かれましたが、「この人に幸せになってもらいた

                  い」という相手を気持ちがあれば、その言葉は強く人々の心に響く

                  でしょう。やはり、かけも大切ということを学びました。一年の締

                  めくくりの月、悔いなしっかり精進させて頂きましょう。

                                                合掌

                   

                                                                                 立正佼成会 姫路教会

                                                 たかとし

                                            教会長 吉 田 高 聡

                   

                   

                   


                  令和元年12月度 姫路教会行事予定

                  0

                    12月 1日(日)   9:00〜    朔日参り(布薩の日)

                     

                    12月2日(月)〜12月19日(木)           ※各支部・各部単位で教会大掃除

                     

                    12月 4日(水)   9:00〜    開祖さまご命日

                     

                    12月 8日(日) 9:00〜    成道会

                              9:30〜    冬季・お城掃除

                     

                    12月10日(火) 9:00〜    脇祖さまご命日

                     

                    12月15日(日)   9:00〜    釈迦牟尼仏ご命日(布薩の日)

                                             10:00〜    総括・誓願

                     

                    12月21日(土)         お身拭い

                     

                    12月25日(水)         法座納め

                     

                    12月26日(木)〜12月31日(火)          (自由参拝)  

                       


                    令和元年11月度 教会長のお話

                    0

                       11月号「佼成」の会長先生の「ご法話」を拝読させていただき、感じた

                      ことを書かせていただきます。

                       

                      今月は、『「励まし」と「精進」』というテーマを、

                      ○ 仏からの励まし ○ ていねいに生きる の

                      2段落でご解説いただいた。

                       

                      まず、『仏からの励まし』の段落では、

                       

                       信仰の世界では、よく神仏に「救われる」といういい方をします。仏教

                      でいえば、仏が私たちを救ってくださるということですが、それは、単に

                      「救い」を待っていればいい、という意味ではなさそうです。

                       仏の教えに結縁[けちえん]した私たちは、すでに、そしてつねに、教えをと

                      おして仏から「励まし」を受けているわけですから、苦悩の世界から出て

                      いくみずからの実践が大事であると、いまさらながら痛感させられます。

                       「化城諭品[けじょうゆほん]」の一節が説かれた偈[](詩)の結びの一文、

                      回向[ふえこう]」で知られる次の経文「願わくは此の功徳を以て/[あまね]

                      一切に及ぼし/我等と衆生と/皆共に仏道を成ぜん」

                       この一節は、「仏を供養する功徳を、多くの人びとに回向し(差し向け)

                      て、みなともに仏の境地に達したい」と願う言葉で、少し難しい印象です

                      が、私たちの生活にそって読み直すと、意外なほど身近な精進が浮かびあ

                      がります。

                      「家族や友だちをはじめ、ふれあう人には、いつもやさしくしよう。朝夕

                      のご供養をとおして、自分の心と行ないを見つめよう。そうして多くの人

                      の善き縁となり、善き友となって、ともどもにほんとうの幸せを味わおう」

                       仏からの励ましを受けて実践する「みずからの努力」とは何かを考える

                      とき、私はこの経文のような、大きな願いにもとづく身近な精進が、真っ

                      先に思い浮かぶのです。

                       

                      『ていねいに生きる』の段落では

                       

                      「善き友」といえば、「善き友、善き仲間といることは、仏道の半にあ

                      たるのでしょうか」と問う弟子に対して、釈尊が「それこそが、仏道のす

                      べてですよ」と説かれた話が有名です。そして釈尊は、後日この話を前置

                      きとして、コーサラ国のパセーナディ王に大事な助言をしています。

                      「王さま、あなたは人々の善き友、善き仲間として、率先して善きことに

                      つとめ励むことです。すると、あなたがつとめ励む姿を見たり聞いたりし

                      た人はみな、王さまからどんな叱咤激励[しったげきれい]を受けるよりも強く、

                      『私も怠[おこた]らずに、つとめ励もう』と思うはずです」と説き示された

                      です。

                       これは私たちへの助言でもあります。親が子の幸せを願って激励すると

                      き、まず自分がどのような人間になりたいかという「心願[しんがん]」が大事

                      と言われますが、そのことにも通じる説話です。ただ「善きことにつとめ

                      励む」とは何かといえば、それは暮らしのなかにある当たり前のことをな

                      おざりにせず、日々をていねいに生きることでしょう。

                       だれにとっても、いまいるそこが仏道実践の「道場」ですから、いつで

                      も当たり前のことを一つ一つ感謝して行ない、まわりの人と一緒に心を磨

                      いて幸せを味わう。それが「精進」であり、「皆共に仏道を成ぜん」とい

                      うことです。

                       ところが、私たちはときとして怠け心が起こり、当たり前のことさえで

                      きないことがあります。そのとき、私たちを支えるのが志[こころざし]や願いで

                      す。「あの人のようになりたい」と理想の人をめざしつつ、焦らずに、

                      た歩き出せばいいのです。すべての人にほんとうの幸せをと願う仏を理想

                      とし、人びとの「善き友」でありたいと願って――

                       

                      と、締めくくられた。

                       

                      化城諭品では、私たちと仏さまの過去世からの因縁が説かれ、「仏は過去

                      の世から無数の人を導いて来たが、その教化を受けた人たちというのは、

                      実はいまここでわたしの教えを聞いているあなたがたにほかならないので

                      す。また、わたしが死んだのちの未来世において弟子となる人も無数にあ

                      る」と、経文に説かれています。

                      仏弟子として、今世、この教えに導かれ、いま開祖さま、会長先生の弟子

                      にしていただけたことに感謝し、自分も仏さまのようになりたいという願

                      いをもって、会長先生からお示しいただいた「知足」、今が最も救われて

                      いることの自覚を深め、どのような状況にあっても、すべては仏さまのお

                      慈悲であり、救いであるという、見方を身につけられるよう、良き仲間と

                      支え合いながら、努力精進させていただくことをお誓い申し上げます。

                                                    合掌

                       

                                                                                     立正佼成会 姫路教会

                                                     たかとし

                                                教会長 吉 田 高 聡

                       

                       

                       


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