6月 教会長のお話

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             「 南   無 」
     6月の会長先生のご法話で 「南無」ということ を頂きました。

    『 他と比べて優劣を評価する錯覚の世界に生きる私たちも、本来はみな等しく尊い存在であって、私たちのいのちは無限であり、永遠のいのちであること・その「真実」に帰ることを本義とするのが宗教であり、信仰です 』

    と学ばせて頂き、「南無妙法蓮華経」と唱えることで、会長先生は、

    「 真実の世界を自覚した私は、みんながめざめることを願い、仏の教えよってともどもに智慧を得つつ、多くの人が真実にめざめて幸せを味わっていただけるように歩みつづけます 」

    とお示し下さいました。

     思春期の頃、私は祖母や母が大切にしていた信仰に大反発していました。
    言い訳のようですが、私が物心ついたころから、もともと高校の数学の教師であった父親より、新興宗教について・佼成会について等、理論的に解説・批判を享受され育ってきました。
    しかし、幼い頃は母の手に引かれ大阪教会に行っていました。
    鼓笛隊にもはいり、普門館であった鼓笛フェスティバルにも参加しました。

    中学の頃、母に泣く泣く頼まれ参加した中学生の団参の時、バスの後ろに陣取ってその時の近くにいた皆が( 嫌々!無理無理!の参加の人ばかりで〔縁たり、縁たり〜〕 )バスの中で散々佼成会の悪口をたらたら話し、大変盛り上がっていました。
    ところがご本部に着くと、どの場面でも「開祖会長先生お願い致します」という号令のもと皆一斉に頭を下げるのです!それも合掌して・・。
    一人ふんぞり返っている私は「なんや!さっきまであれだけ悪口言ってたのに!私だけアホみたいやん!」

    帰りのバスの中の決意発表でも「来てよかった」の連呼・・。
    頭にきた私は「私は、佼成会も会長先生とやらも信じられません!二度と参加しません!」と発表しました。
    意気揚々とバスから降りたら薄暗い中、バスの陰で泣いている私のバスの担当のお姉さんと、慰めているお兄さんの姿を発見しました。
    私の発表を聞いて泣かせてしまった!と今もそう思っていますが、それを機に教会から足が遠のき、母に対する佼成会批判に拍車がかかったのです。

    それからの私は、信仰する人は弱い人!と自分の力で頑張れば幸せになれる!と信じ、感謝ということから遠い人生を歩んでいました。
    すべては当たり前とふんばってきて「こんなはずはない!」と都合の悪いことは全て周りのせいにしていたのですから、幸せになれるはずがありません。

    そういう中でも、18歳の時バザーの手伝いを機に、あれよあれよと教会の活動に引っ張って頂き
    ・・・あれから今までの間に自分の力ではとても乗り越えられないような、大きな苦があったお陰様で、大いなる命に生かされていることや、仏さまにいつも守られていることを自覚できる私に少しは・・・
    生まれ変わることができたのです。

    私のような大反発をした者でも、仏さまは見放されることなく、お慈悲をかけて頂いているのです。
    本当に可愛がって頂いているのだと感謝でいっぱいです。

    6月は、一人一人が自覚をもって真実にめざめて、幸せを味わって頂けますように!良き縁にならせて頂きます。
                                             合掌

                                 姫路教会長 河南 有紀


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