令和2年2月度 姫路教会行事予定

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     2月 1日(土) 9:00〜    朔日参り(布薩の日)

     

     2月 2日(日) 9:00〜    節分会

     

     2月 4日(火)   9:00〜    開祖さまご命日

     

     2月10日(月) 9:00〜            脇祖さまご命日

     

     2月14日〜15日        本部(涅槃会)団参


     2月15日(土)   9:00〜    涅槃会(布薩の日)

                     〔吉田教会長:お説法〕

     

     2月28日(金)         感謝のお礼参り

     

     2月29日(土) 15:00〜    新宗連兵庫県協議会学習会

     

     2月29日〜3月1日       本部団参

     

     

     


    令和2年1月度 教会長のお話

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       令和2年1月号「佼成」の会長先生の「ご法話」を拝読させていただき、

      感じたことを書かせていただきます。

       

      今月は、『ほんとうの自分に帰る』というテーマを、◎ 一年をどうすご

      すか ◎ 素直に、謙虚に の2段落でご解説いただいた。

       

       まず、『一年をどうすごすか』の段落では、

       

      「かたちなき時間といへど一年が ゆたけきままにわが前にあり」(佐藤

      佐太郎)という歌があります。新たな年を迎えた私たちの前には、まさに

      豊かで、まっさらな「時」が広がっています。

       そして、この一年を真に豊かなものにするのは、ほかでもない、私たち

      自身です。日々に出会う人やものごとは、すべて、自分が因となり、縁と

      なって生じているものです。さらにいえば、遠い世界のできごとでさえ

      も、自分と無縁のことは一つもないと受けとめれば、どのような一年にす

      るかは、すべて自分にかかっているといえるのです。

       それはまた、一年をかけて自分をどのように成長、進化させていくかと

      いうことでもあるでしょう。

       さて、法華経の「授学無学人記品[じゅがくむがくにんきほん]」は、釈尊が一子・

      羅睺羅[らごら]や、侍者としてつねに付き随う阿難[あなん]に対して授記を与え

      る章です。羅睺羅の授記[じゅき]に際して、釈尊は「羅睺羅の密行[みつぎょう]

       唯我のみ能くこれを知れり」と称えています。増谷文雄先生は、羅睺羅

      について、舎利弗[しゃりほつ]のような智慧[ちえ]に恵まれているわけでもなく、

      富楼那[ふるな]のように雄弁でもなかったけれど、「彼を見守る人々の苦心

      と、彼じしんの必死の努力によって、密行すなわち教団のさだめをるこ

      とにおいては、もっとも綿密な修行者」にまで成長したと述べています。

       舎利弗や富楼那のような智慧や才能の持ち主を尊敬する一方で、特別な

      才に恵まれていなかった羅睺羅に対して、共感を覚えるのは私だけではな

      いと思います。そして、私たちが自身の成長や進化を考えるうえで、羅睺

      羅の努力とはどのようなものであったのかも気になるところです。

       

       『素直に、謙虚に』の段落では

       

       「密行第一」が羅睺羅に対する尊称です。しかし、そう称えられたの

      は、舎利弗をはじめとする先輩たちの指導や助言を素直に聞き、謙虚に

      なって、人が見ていないときでもひたすら教えを学び実践しつづけたから

      だと、私は思います。釈尊の長男として生まれ、世俗にあったときには、

      父である釈尊に「王宮の財産を私にください」と語った羅睺羅が、出家し

      て法を継ぐことが人生の大事だとわかった時から、身を慎み、常に「素直

      であろ「謙虚であろう」と心して、ただただ静かに精進を重ねる姿

      が、「密行」、つまり羅睺羅の努力だったと思うのです。

       そこには、財を貪る心も、自分の境遇を恨む思いも、釈尊の肉親である

      ことを驕る気持ちもありません。「密行」を重ねるなかで、羅睺羅は全て

      の人が生まれながらに授かっている仏性の有り難さにめざめ、貪・瞋・痴

      などの煩悩を離れた、「ほんとうの自分」に帰ったということです。

       そしてだれもが、その真実の自分に帰ることができます。お互いさま、

      素直さと謙虚さを忘れず、一日一生のつもりで、精いっぱい明るく和やか

      な一年にしてまいりましょう。

       

       と、締めくくられた。

       

      「法華経」は「仏性の自覚と菩薩行の実践」が説かれていると教えていた

      だいています。

       会長先生は、昨年から「佼成」のご法話で、法華三部経一品一品を丁寧

      にご解説頂き、釈尊の目の前の人一人ひとりをいかに救うかという思いを

      具体的に教えていただきました。

       今年の初めに「開三顕一」の最後、「授学無学人記品」によって、仏性の自覚に立った立場で、いよいよ、法師としての実践を誓願するために、羅睺羅の「密行」をお示しいただいたと受けとめます。『素直に、謙虚に』の段落の内容をしっかりとかみしめ、今年も、「惜しみなくつながろう〜菩薩を育てる苗代となろう〜」のマザープログラムを実践し、教団100周年・教会60周年に向け、教会一丸となって布教伝道に取り組みましょう。

                                    合掌

       

                                                                     立正佼成会 姫路教会

                                     たかとし

                                教会長 吉 田 高 聡

       

       

       

       


      令和2年1月度 姫路教会行事予定

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        🎍(明けましておめでとうございます)

         

        令和2年1月1日 6:30〜    元旦参り

                          朔日参り(布薩の日)

         

         1月 2日(木)〜6日(月)      自由参拝

         

         1月 4日(土)   9:00〜    開祖さまご命日

         

         1月 7日(火) 8:45〜      御親教

         

         1月10日(金) 9:00〜            脇祖さまご命日


         1月15日(水)   9:00〜    釈迦牟尼仏ご命日(布薩の日)

         

         1月19日(日)〜25日(土)    寒中読誦修行(AM 6:30〜)

         

         1月19日(日)11:00〜13:00  成人式

         

         1月28日(火)         感謝のお礼参り

         

         

         

         


        令和元年12月度 教会長のお話

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           12月号「佼成」の会長先生の「ご法話」を拝読させていただき、感じた

          とを書かせていただきます。

           

          今月は、『弁を尽くす』というテーマを、◎ 言葉の力 ◎ 富楼那[ふるな]

          に学の2段落でご解説いただいた。

           

           まず、『言葉の力』の段落では、

           

           人間が生まれもって授かった心、すなわち「人」としての素朴な感情や

          意思を、言葉を使ってまわりの人に伝え、コミュニケーションを繰り返す

          なかで「人間らしい心」が育ってきた。

          言葉の力はそれくらい大きいわけですが、その一方で、詩人の寺山修司氏

          は「現代人が失いかけているのは『話しあい』などではなくて、むしろ

          『黙りあい』だ」と指摘しています。言葉の発達に心の成長が追いつかな

          いのか、あるいは心が退化しているのか、言葉が人を傷つける道具として

          使われることも多いのです。言葉の力が大きいだけに、多くを語ることよ

          りも、いまは沈黙のうちに自らを省みることのほうが重要なのかもしれま

          せん。

           では、人とよりよい関係を築くために、私たちは何をどのように話し、

          伝えることが大切なのでしょうか。

           

           『富楼那に学ぶ』の段落では

           

           法華経の「五百弟子授記品[ごひゃくでしじゅきほん]」に、説法第一といわれた

          楼那に対して、釈尊が「能[よ]く其の言論[ごんろん]の弁を尽くすものなけん」

          (富楼那ほど言葉の力を最大限に駆使し、発揮できるものはない)と称

          る一節があります。「この人に幸せになってもらいたい」という一心で

          えを伝えた富楼那の言葉は、よほど強く人びとの心に響いたのでしょう。

          「言論の弁を尽くす」というのは、知識や才能にすぐれた人が、立て板に

          水のごとく話すことではないのでしょう。

           それよりも大事なのは、相手の顔が自然とほころぶような柔和な態度

          で、思いやりをもって言葉を交わすことです。そうすれば、おのずから話

          しかける言葉もやさしくなって受け入れやすいものとなり、それが相手の

          心に届くということではないでしょうか。相手を思う気持ちがあれば、目

          の前の人の心情はもちろん、生活環境などにも配慮してふれあうでしょう

          から、その時に伝える言葉は、富楼那に負けないくらいの力を発揮するの

          だと思います。

          ただ、私たちにとってハードルが高いと感じるのが、「大切なことをだ

          にもわかるように」伝えるという部分です。

           作家の井上ひさし氏は、言葉の使い方について「むずかしいことをやさ

          しく、やさしいことをふかく」と述べていますが、釈尊の時代から現代に

          至るまで、人にものごとを伝える基本はあまり変わらないのかもしれませ

          ん。

           そこで、これも作文の書き方に関する井上氏の言葉ですが、「単純に、

          わかりやすく」「自分にしか書けないことを、自分の文章で」という二つ

          が参考になります。

           

           私たちは、自身の体験であれば自分の言葉で語ることができます。味わ

          った感動や気づきならば、素直に話せます。

           完璧な人はいませんから、教えの何たるかがよくわからなくても、わか

          ないまま、「ありがたい」「うれしい」という気持ちとともに、自分の

          理解に応じて話すことが、「大切なことをだれにでもわかるように」伝え

          ることなのです。

           

          今年、あなたはどのような感動を味わったでしょうか。そして、どんな

          「大切なこと」を人にお伝えしますか。

           

          と、締めくくられた。

           

           五百弟子授記品には、「化城諭品[けじょうゆほん]第七」までの説法によって

          境地に導かれたことを見通された釈尊が十大弟子のひとり富楼那を

          はじめ、たくさんの弟子たちが成仏の保証を与えられたことが述べられ

          ています。富楼那は説法第一と言われ、弁舌に優れた人でした。しかも

          自分の偉さを見せびらかすことがなく、凡俗[ぼんぞく]と同じような生活を

          していましたし、またおとなしそうに見えても、心の中には本当の意味

          の勇気をもっている、まことに偉い人でした。

          富楼那の半歩主義と言われている。

          11月号では、まず自分がどのような人間になりたいかという「心願」が

          大事、多くを語るより、当たり前のことをなおざりにせず、日々をてい

          ねいに生きることを説かれましたが、「この人に幸せになってもらいた

          い」という相手を気持ちがあれば、その言葉は強く人々の心に響く

          でしょう。やはり、かけも大切ということを学びました。一年の締

          めくくりの月、悔いなしっかり精進させて頂きましょう。

                                        合掌

           

                                                                         立正佼成会 姫路教会

                                         たかとし

                                    教会長 吉 田 高 聡

           

           

           


          令和元年12月度 姫路教会行事予定

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            12月 1日(日)   9:00〜    朔日参り(布薩の日)

             

            12月2日(月)〜12月19日(木)           ※各支部・各部単位で教会大掃除

             

            12月 4日(水)   9:00〜    開祖さまご命日

             

            12月 8日(日) 9:00〜    成道会

                      9:30〜    冬季・お城掃除

             

            12月10日(火) 9:00〜    脇祖さまご命日

             

            12月15日(日)   9:00〜    釈迦牟尼仏ご命日(布薩の日)

                                     10:00〜    総括・誓願

             

            12月21日(土)         お身拭い

             

            12月25日(水)         法座納め

             

            12月26日(木)〜12月31日(火)          (自由参拝)  

               


            令和元年11月度 教会長のお話

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               11月号「佼成」の会長先生の「ご法話」を拝読させていただき、感じた

              ことを書かせていただきます。

               

              今月は、『「励まし」と「精進」』というテーマを、

              ○ 仏からの励まし ○ ていねいに生きる の

              2段落でご解説いただいた。

               

              まず、『仏からの励まし』の段落では、

               

               信仰の世界では、よく神仏に「救われる」といういい方をします。仏教

              でいえば、仏が私たちを救ってくださるということですが、それは、単に

              「救い」を待っていればいい、という意味ではなさそうです。

               仏の教えに結縁[けちえん]した私たちは、すでに、そしてつねに、教えをと

              おして仏から「励まし」を受けているわけですから、苦悩の世界から出て

              いくみずからの実践が大事であると、いまさらながら痛感させられます。

               「化城諭品[けじょうゆほん]」の一節が説かれた偈[](詩)の結びの一文、

              回向[ふえこう]」で知られる次の経文「願わくは此の功徳を以て/[あまね]

              一切に及ぼし/我等と衆生と/皆共に仏道を成ぜん」

               この一節は、「仏を供養する功徳を、多くの人びとに回向し(差し向け)

              て、みなともに仏の境地に達したい」と願う言葉で、少し難しい印象です

              が、私たちの生活にそって読み直すと、意外なほど身近な精進が浮かびあ

              がります。

              「家族や友だちをはじめ、ふれあう人には、いつもやさしくしよう。朝夕

              のご供養をとおして、自分の心と行ないを見つめよう。そうして多くの人

              の善き縁となり、善き友となって、ともどもにほんとうの幸せを味わおう」

               仏からの励ましを受けて実践する「みずからの努力」とは何かを考える

              とき、私はこの経文のような、大きな願いにもとづく身近な精進が、真っ

              先に思い浮かぶのです。

               

              『ていねいに生きる』の段落では

               

              「善き友」といえば、「善き友、善き仲間といることは、仏道の半にあ

              たるのでしょうか」と問う弟子に対して、釈尊が「それこそが、仏道のす

              べてですよ」と説かれた話が有名です。そして釈尊は、後日この話を前置

              きとして、コーサラ国のパセーナディ王に大事な助言をしています。

              「王さま、あなたは人々の善き友、善き仲間として、率先して善きことに

              つとめ励むことです。すると、あなたがつとめ励む姿を見たり聞いたりし

              た人はみな、王さまからどんな叱咤激励[しったげきれい]を受けるよりも強く、

              『私も怠[おこた]らずに、つとめ励もう』と思うはずです」と説き示された

              です。

               これは私たちへの助言でもあります。親が子の幸せを願って激励すると

              き、まず自分がどのような人間になりたいかという「心願[しんがん]」が大事

              と言われますが、そのことにも通じる説話です。ただ「善きことにつとめ

              励む」とは何かといえば、それは暮らしのなかにある当たり前のことをな

              おざりにせず、日々をていねいに生きることでしょう。

               だれにとっても、いまいるそこが仏道実践の「道場」ですから、いつで

              も当たり前のことを一つ一つ感謝して行ない、まわりの人と一緒に心を磨

              いて幸せを味わう。それが「精進」であり、「皆共に仏道を成ぜん」とい

              うことです。

               ところが、私たちはときとして怠け心が起こり、当たり前のことさえで

              きないことがあります。そのとき、私たちを支えるのが志[こころざし]や願いで

              す。「あの人のようになりたい」と理想の人をめざしつつ、焦らずに、

              た歩き出せばいいのです。すべての人にほんとうの幸せをと願う仏を理想

              とし、人びとの「善き友」でありたいと願って――

               

              と、締めくくられた。

               

              化城諭品では、私たちと仏さまの過去世からの因縁が説かれ、「仏は過去

              の世から無数の人を導いて来たが、その教化を受けた人たちというのは、

              実はいまここでわたしの教えを聞いているあなたがたにほかならないので

              す。また、わたしが死んだのちの未来世において弟子となる人も無数にあ

              る」と、経文に説かれています。

              仏弟子として、今世、この教えに導かれ、いま開祖さま、会長先生の弟子

              にしていただけたことに感謝し、自分も仏さまのようになりたいという願

              いをもって、会長先生からお示しいただいた「知足」、今が最も救われて

              いることの自覚を深め、どのような状況にあっても、すべては仏さまのお

              慈悲であり、救いであるという、見方を身につけられるよう、良き仲間と

              支え合いながら、努力精進させていただくことをお誓い申し上げます。

                                            合掌

               

                                                                             立正佼成会 姫路教会

                                             たかとし

                                        教会長 吉 田 高 聡

               

               

               


              令和元年11月度 姫路教会行事予定

              0

                11月 1日(金)   9:00〜    朔日参り(布薩の日)

                         19:00〜21:00  夜間朔日参り(当番:姫路北


                11月 3日(日)〜4(月)      (ご命日団参)

                 

                11月 4日(月)   9:00〜    開祖さまご命日

                 

                11月 9日(土) 10:30〜    七五三詣り

                 

                11月10日(日) 9:00〜    脇祖さまご命日

                 

                11月15日(金)   9:00〜    開祖さま生誕会

                                  釈迦牟尼仏ご命日(布薩の日)

                                         19:00〜      夜間開祖さま生誕会

                 

                11月24日(日) 10:00〜    仏教研究会

                 

                11月28日(木)         感謝のお礼参り


                令和元年10月度 教会長のお話

                0

                   10月号「佼成」の会長先生の「ご法話」を拝読させていただき、感じた

                  とを書かせていただきます。

                   

                   今月は、『「仏」を供養する』というテーマを、

                   なぜ「仏」がたくさんいるのか  「供養」の基本は思いやり の

                  2段落でご解説いただいた。

                   

                   まず、『なぜ「仏」がたくさんいるのか』の段落では、

                   

                   法華経の「授記品[じゅきほん]」には、釈尊の弟子たちが「あなたも仏になれすよ」と、仏になれる保証を授かる「授記」のくだりが繰り返し出てきます。その中で釈尊は、弟子それぞれに、仏を供養し、尊重することの大切さを、その内容とあわせてくわしく説いています。

                   それにしても、私たちからすると、「三百万憶」や「八千億」といった、計り知れない数の「仏を供養する」と聞いただけで別世界の物語に思えます。「未来世」「当来世」とありますから、生まれ変わり死に変わりを繰り返しながらということでしょうし、自分に実践できるとはとても思えません。

                   ただ、人間・釈尊が、悟りに至るまでに出会った人や、教えを受けた人、さらには、真理を伝える旅でふれあった人びと、そうした人たちすべてを「仏」と受けとめる見方に立って読むと、先の経文も違って見えてきます。同時に、日々に出会う一人ひとりを、釈尊に倣[なら]って「仏」と受けとめるとき、この経典の一節が、私たちの日常生活における実践課題として身に迫ってくるのではないでしょうか

                   

                   『「供養」の基本は思いやり』の段落では

                   

                   目の前の人を「仏」とみるということでいえば、臨済宗を開いた臨済義玄禅師[りんざいぎげんぜんじ]が、次のような言葉を残しています。「もし君たちが、仏を外に向かって追い求める心を離れたなら、そのまま仏である。いま、私の目の前でこの説法を聴いている君たちが仏にほかならない」

                   修行仲間に向けられた言葉ですが、自分は本来、清浄[しょうじょう]な心をもつ仏なのだと自覚すれば、自分も仏、目の前にいる相手も仏ということで、それは「出会う人はみな、すべて仏」と信じ、受けとめることにほかなりません。

                   人は、死んだ人に手を合わせることはできても、生きている人にはなかなか手を合わせることができないといわれますが、亡くなった人も生きている人も同じ「仏」であれば、目の前の人に「恭敬[くぎょう]・尊重[そんじゅう]・讃歎[さんだん]の気持ちを示す「供養」を行なうのも、不思議な話ではないどころか、むしろ当たり前のことです。

                   では、具体的に何をするのか ―― 仏に感謝のまことを捧[ささ]げる「供養」の中でいちばん大切なのは、教えを実践することだといわれます。実践をとおして、教えが真実であることを体得する。釈尊のように慈悲[じひ]の心で日々をおくる。やさしく言えば「人の悩み苦しみが少なくなるように、楽しみが多くなるように」と願って、人を思いやることです。

                   それが、目の前にいる「仏」に対する供養であり、ひいては、修行・精進を重ねて得た真実を説いてくださった釈尊、つまり「仏さま」への感謝と尊崇[そんすう]の気持ちを込めた供養となるのです。こうして私たちは、思いやりがあふれる人間になるにつれて、「仏」に近づくでしょう。

                   私たち一人ひとりを一枚の布にたとえれば、みんな「仏」になる資質をもったすばらしい「布」です。そこに慈悲 ―― 思いやり ―― の実践という裏地が施されると、「仏」という最高の「衣」になるということかもしれません。

                   

                  と、締めくくられた。

                   

                   開三顕一の法門は、仏性の自覚を確立することを促しています。

                  そして、それは自らの救われだけではなく、多くの人が救われるための実践こそ尊く、その実践を通じて成仏に向かって精進する決定を、本仏は願っておられる。そのことに気づき表明したものに授記が与えられます。

                  しかし、成仏の保証には条件があり、多くの仏を供養した暁にというもので、会長先生は、その多くの「仏」というものは、日々に出会う一人ひとりを、釈尊に倣って「仏」と受けとめるとお示しいただいた。つまり、今、目の前におられる人の仏性をどれだけ拝めるかが、多くの「仏」を供養することであると明快にご指導くださいました。よって、別世界のような物語ではなく、今からすぐに人を思いやる実践に取り組めばよいと思わせて頂きます。

                                                合掌

                   

                                                                                 立正佼成会 姫路教会

                                                 たかとし

                                            教会長 吉 田 高 聡

                   

                   

                   

                   

                   


                  令和元年10月度 姫路教会行事予定

                  0

                    10月 1日(火)   9:00〜    朔日参り(布薩の日)

                             19:00〜21:00  夜間朔日参り

                                     (当番:姫路西/加古川第一


                    10月 4日(金)   8:45〜    開祖さま入寂会[映像配信]

                     

                    10月10日(木) 9:00〜    脇祖さまご命日

                     

                    10月 12日(土)〜13(日)       大日町自治会秋祭り

                                     [教会駐車場:お神輿休憩所]

                     

                    10月13日(日) 9:00〜    日蓮聖人遠忌法要

                     

                    10月15日(火)   9:00〜    釈迦牟尼仏ご命日(布薩の日)

                     

                    10月26日(土) 13:30〜    「太平洋戦全国戦災都市空爆死没者

                                       慰霊と平和の祈り」

                                      於:姫路市手柄山中央公園内

                     

                    10月28日(月)         感謝のお礼参り

                     

                     

                     


                    令和元年 9月度 教会長のお話

                    0

                       9月号「佼成」の会長先生の「ご法話」を拝読させていただき、感じたことを書かせていただきます。

                       

                       今月は、『「違い」があるからこそ』というテーマを、

                      ○ みんなを愛おしむ心、○ 「違い」がある意味と尊さ の2段落でご解説いただいた。

                       

                       まず、『みんなを愛おしむ心』の段落では、

                       紀貫之が、「古今和歌集」に収めた自身の恋歌の一つに、次の歌があります。

                      「世の中はかくこそありけり吹く風の 目に見えぬ人も恋しかりけり」

                       これを恋愛の歌として読めば、それはそれで理解できます。ところが、ある方によると、この歌は、私たちがなかなか気づかない一つの「真実」を歌い上げているというのです。その「真実」とは、人はみな心の根底において、この世に存在するすべてのものを愛おしいと感じ、慈しんでいる、ということです。

                       しかし、現実にはそうとは言えない状況があちこちで見られます。考え方やものの見方の違いが原因で人と言い争ったり、いがみあったり、交流を断ったり、国同士が戦火を交えたり・・・・。残念なことに、宗教間の対立も現実の問題として存在します。多くの人が、他人との違いを受け入れられずに苦しみ、悩み、無益な争いまでしているのです。

                       そうした中で、私たちが身近でできることは、他者との違いを違いとして認めて受け入れることですが、それにはまず「私の胸の内にも、この世のすべてのものを愛おしいと感じ、慈しむ心がある」と自覚することです。すると、人と自分に違いがあることの尊さも見えてくるはずです。

                       

                       『「違い」がある意味と尊さ』の段落では

                       私たちは、一人ひとり異なる因と縁によって生まれてきています。また生まれてからも、一人ひとりがそれぞれ独自の縁にはぐくまれて、「私」という個性があります。

                       ですから、人種や容姿はもとより、人と考え方やものの見方が違うのは当然で、違いを理由に対立したり、排除したりするのは、自分の個性を否定することと同じです。

                       宗教の世界においても、人それぞれの縁に随って救われる道が異なるのは自然なことで、キリスト教の教えで救われる人もいれば、イスラム教や仏教の教えで救われる人もいるのです。それは、安らぎを求める人が、信じ仰ぐ教えがたくさんあるということです。この地球に生きるすべての人に安心を与えるため、宗教・宗派のそれぞれが個性を発揮しつつ、お互いに補いあっているともいえます。

                       宗教をそのように見ると、人を安心に導くという慈愛の一点において、宗教は一つに結ばれていることがわかります。そして、宗教によるその慈愛のはたらきかけによって、私たち自身も、心の底に具わる「他を愛おしみ、慈しむ心」を掘り起こされ、それを実践せずにはいられなくなる――仏教でいえば、それが菩薩の生き方です。

                       私たちには、ふと自他の違いを感じて、人にやさしくできないときもあります。そういうとき、外に向いた目を自分の心の内側に向けると、違いを受け入れやすくなります。

                       私は、国際会議の席などで、意見の異なる人に出会ったときに、よく「私にはない考えをもっておられて、すばらしいな」と感じます。そして、その違いをとおして、まだまだ知らないことばかりの自分であると教えられるのです。自分の意見を声高に主張し、違いを盾に角突きあわせるよりも、違いを認め、受け入れて相和[あいわ]し、その和の醸成[じょうせい]をお互いに喜びあえるほうが幸せではないでしょうか。

                       法華経の「薬草諭品[やくそうゆほん]」に「如来[にょらい]の説法は一相一味[いっそういちみ]なり」とありますが、宗教に共通する目的と、私たち一人ひとりの胸底に宿る心を考えあわせると、この宇宙船地球号の乗組員はみな、安らぎと幸せを得ることを約束されているという意味で、「宇宙の真理は一相一味」ともいえます。私たちには、それを現実の世界で証明するお役があるのです。

                       

                      と、締めくくられた。

                       

                       今月は、内容が全文重要と思い全文掲載しました。特に、「薬草諭品」は、平等と差別について説かれている品ですが、「諸法」の差別相と「実相」の平等相の見方を現在の世相に合わせて、どう受け止めるかという受け止め方をご指導いただきました。

                       おりしも、先月20日〜23日にドイツで第10回WCRPが開催され世界の宗教者のみなさんも「慈しみの実践」というテーマで会議が行われました。たとえ自分と意見が違う人、害をなす人であっても、仏さまは全ての人に安らぎと幸せを与えてくださるというお慈悲をしっかりと信解できるよう精進させて頂きましょう。

                       そして、会員各家のすべてのご先祖様に成仏いただくべく、「彼岸会」に向かっての手取り修行に取り組みましょう。

                                                    合掌

                       

                                                                                     立正佼成会 姫路教会

                                                     たかとし

                                                教会長 吉 田 高 聡

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       


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