4月度 教会長のお話

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     4月号「佼成」の会長先生の「ご法話」を拝読させていただき、感じたことを書かせていただきます。

    今月は、『 円満な人になる 』というテーマを

     

    〇 あいさつ一つで 〇 悲しみを知る人に の2段落でご解説いただいた。

     

     まず、『 あいさつ一つで 』 の段落では、

     

     ある職場に、朝のあいさつをとてもていねいにする人がいたそうです。

    しっかりと相手の顔を見て、「おはようございます」といいながら、頭をゆっくり下げる。

    それだけのことなのですが、慌ただしい朝の空気のなかで、ていねいすぎるその姿勢を煩わしく思う同僚もいたといいます。

     ところが、しばらくすると職場の雰囲気が変わってきました。

    それまで、すれ違いざまに「おはよう」と言い交わしていた人たちも、それぞれが相手としっかり向きあってあいさつをするようになり、やがて職場の空気が和らいできたというのです。

     

     円満とは、人格が「十分に満ち足りて、欠点や不足のないこと」です。

    ですから「円満な人になる」といえば、いわば人間の理想に近づくことで、仏教徒にとっては仏さまのような人になることを意味します。

     

     人に安心や満足を与え、そのことをとおして、相手に「人と仲よくしたい」という気持ちを発(おこ)さしめたり、その場に調和をもたらしたりするのが仏(ぶつ)・菩薩(ぼさつ)のはたらきと受けとれば、朝のあいさつ一つで人の心を動かし、職場に和らぎをもたらした人は、まさに円満な人そのものです。

     

    だれもがみな、仏性を具えていることの証ともいえましょう。この春、新たな出会いを円満な人間関係にする決め手も、あいさつをとおして相手の仏性を拝むことにあるといえるかもしれません。

     

      『 悲しみを知る人に 』 の段落では、

     

     人間の本質が仏性であり、人格円満であることを示す話、江戸時代の妙好人(みょうこうにん)(浄土真宗の篤信者(とくしんじゃ))の二人。

     

     奈良の吉野の清九郎という人は、留守宅にあったお金を盗まれたとき、「私のような者の家に盗みに入るその方は、よほど困っていたのでしょう。たまたまわが家にお金があったのでその人も得るものがあり、うれしく思います」と。

    そして、「私はいま、仏の慈悲に導かれて “ 盗まれる身 ” にさせてもらい、これほどうれしいことはありません」と語ったというのです。

     

     また、大阪の物種吉兵衛(ものだねきちべい)さんは、「よいときばかり喜ぶのならだれでも喜ぶ。どのような難儀なことに遇うても、その難儀の底にかかってある仏法や」と、困難が教えてくれる「感謝の種」に気づける喜びこそ信仰の醍醐味(だいごみ)であり、真骨頂(しんこっちょう)であることを伝えています。

     

    こういう方々の心には、み仏に生かされていることへの感謝と、人に対する慈悲、思いやりがあるばかりです。

     

     円満とは、人格が「満ち足りて、不足がないこと」の意で、それはまた、なにごとも「ありがたい」と感謝で受けとめられる温かな充足感そのものといえます。

     

     ところで、先の清九郎さんは父親を早くに亡くし、母親との貧しい暮らしの中で出会った妻とも、三十三歳のときに死別しています。悲しみやつらさを、とことん味わったからこそわかる、人の心の痛み。

    そこからわき出る慈悲の思いが、おのずから人を救う智慧を発さしめたのでしょう。

     

    菩薩の心の奥には七転八倒の苦悩があり、言葉に尽くせない思いがある。

     

     「悲智円満(ひちえんまん)」という言葉があります。

    釈尊も、私たちも、慈悲と智慧をあますことなく発揮するために、この世に生まれてきたといわれています。
     

     と、締めくくられた。

     

     

     今月は、すべてが要点ですので、ほとんど全文を載せましたが、

    『 降誕会 』を迎え、お釈迦さまと私たちは同じ使命をもってこの世にいのちをいただいたと、会長先生はお示しくださいました。

     

    「 悲智 」の意味は、智慧にもとづかない慈悲は本当の慈悲ではない、ともいわれます。

     

    釈尊にはほど遠い私たちが慈悲と智慧をあますことなく発揮するためには、まず、あらためて三つの実践の「朝のあいさつ」から真心でさせていただく実践と、ご法の習学を深めることを、今月はしっかりと精進させていただきましょう。

     

     

                                                                          合掌

     

                                                                   立正佼成会 姫路教会

                                  たかとし

                             教会長 吉 田 高 聡

     

     

     


    4月度 姫路教会行事予定

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      4月 1日(日)   9:00〜    朔日参り(布薩の日)

                       姫路教会発足54周年記念日

               

      4月1日〜6日           大学生沖縄平和学習


      4月 4日(水)   9:00〜    開祖さまご命日


      4月 8日(日)   9:00〜    降誕会

               13:15〜14:45 花まつりキャンペーン(城見台公園)

       

      4月10日(火) 9:00〜            脇祖さまご命日


      4月15日(日)   9:00〜    釈迦牟尼仏ご命日(布薩の日)

       

      4月28日(土)         感謝のお礼参り(各支部)

       

      4月29日(日)   9:00〜10:30 みどりの美化キャンペーン

                      (姫路市協賛:姫路市内清掃奉仕)

       

      4月30日(月) 9:00〜    お城まつり祈願供養

               10:00〜    お城まつり練習

               11:00〜    お城まつり全体会議

       

       

          


      3月度 教会長のお話し

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         3月号「佼成」の会長先生の「ご法話」を拝読させていただき、感じたことを書かせていただきます。

        今月は、『 地域の人びとと共に、幸せに 』というテーマを

         

        〇 多くの菩薩が住む街に、 〇 ぬくもりを家庭から地域へ の2段落でご解説いただいた。

         

         まず、《 多くの菩薩が住む街に 》の段落では、

         

         多くの方のおかげさまで、本会は今年、創立80周年を迎えました。

        開祖さまは今から30年前、50周年の年に、本誌で「 究極の目標は世界人類の救済にあろうとも、あくまでも身辺のことをおろそかにせず、まず目の前の一人を救い、おのれの家庭を調え、地域社会の浄土化へ進むという、着実な歩みも忘れてはならない 」(昭和63年・3月号)

        と、示されたこの決意を、私は、節目を迎えて新たな一歩を踏みだそうとするいま、あらためてかみしめています。

         

         開祖さまはよく、「 地域のお役は喜んで受けなさい 」ともいわれましたが、自分の住む地域のために力を尽くし、隣近所に困っている人がいれば寄り添い、悩みがあると聞けば話をよく聞かせていただく。

        そういう菩薩のような人がたくさん住む地域にしていくことが、みんなの幸せを願う私たちの理想ではないでしょうか。

        その意味でいえば、もし暗い表情をして沈んでいる人がいたら、その心に一灯を点じて笑顔をとり戻し、地域全体を明るく照らしていくのが信仰をもつ私たちの精進であり、役割だと思うのです。

         

         《 ぬくもりを家庭から地域へ 》の段落では、

         

         夕暮れの街を数時間、高台から撮影した映像を見たら、日が落ちるにつれて一軒、また一軒と灯りがともり、やがて街全体が夕闇の底に明るく浮かび上がってくるのですが、地域に幸せが広がるというのは、この光景のようなものかもしれません。

        そして、その最初の一軒は、みなさんのご家庭です。

        家族がみんな仲よく、それぞれが敬いと親愛で結ばれて、心安らいでいる。 ❝ わが家 ❞ をそういう家庭にすることが、地域全体の幸せの始発点になるのです。

         なぜなら、地域や近所の人のことを思う皆さんの気持ちは、たとえば道の掃き掃除をするときでも、自然に隣の家の前まで掃いておこうという行動になってあらわれるからです。

        散歩の際には、たとえ見知らぬ人であっても、元気に自分からあいさつをすることでしょう。そうして少しずつ人と人とが和み、自他の心が耕されていくことで、共に地域を照らす仲間―――菩薩もまた少しずつ生まれるのだと思います。

         

         また本会には、各地域に教会道場があります。信者の皆さんにとってのオアシスであるばかりでなく、どなたにとっても身心が休まる場所であることが望まれます。

        ただ、それには私たちが率先して地域に働きかけることが大切です。

        「 出入口 」という言葉が示すように、まずこちらから一歩を踏みださなければ、入ってきてはいただけないのです。そのことを踏まえ、ぜひ地域のみなさんと一つになって、街全体をオアシスのようにしていただきたいと思います。
         

         と、締めくくられた。

         

         3月は、教団創立80周年の月であります。100周年に向けての、

        マザープログラム 「 惜しみなくつながる 〜菩薩を育てる苗代となる〜 」

        をお示しいただいて、今年の精進が始まりました。

         

        その精進の具体的な在り方、身近な実践行動を今月はまた、会長先生はわかりやすくご指導くださいました。

        その深いお慈悲にお報いすべく、今月もしっかりと精進させていただきましょう。

         

                                                                              合掌

         

                                                                       立正佼成会 姫路教会

                                      たかとし

                                 教会長 吉 田 高 聡


        2月度 教会長のお話し

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           2月号「佼成」の会長先生の「ご法話」を拝読させていただき、感じたことを書かせていただきます。

          今月は、『 人生を 厳粛なものに 』というテーマを

           

          〇 厳粛に生きるとは    ・・・

          〇 心のスイッチを入れる  ・・・ の2段落でご解説いただいた。

           

           まず、《 厳粛に生きるとは 》の段落では、

           

           そもそも一人ひとりの一生は、「生まれる・老いる・病む・死ぬ」のどこをとってみても厳粛以外の何ものでもありません。意識していないだけで、私たちはみな厳粛な人生を歩んでいるのです。

          そうすると、そのことを明らかに知る、真理を自覚して生きることが、人生を厳粛なものにする鍵といえそうです。

           

           「厳粛」を辞書で引くと「おごそかで心が引き締まるさま」とあり、ある方はきわめてわかりやすく「厳粛とは、無常観に立って、いまを大切に生きること」といわれ、1日を、1時間を、そしていま目の前の1分1秒をおろそかにしないで、ていねいに暮らすことが大切なのです。

           そのように捉えると心に余裕が生まれますから、気持ちもゆったりと落ち着いて穏やかになり、まわりの人とも仲よく、楽しくすごせ、そういう時間の積み重ねが、幸せで、かつ厳粛な人生といえるのでしょう。

           

           一休禅師の道歌「死んでから仏になるはいらぬもの 生きたるうちによき人となれ」、

          あの世に行ってから厳粛になるのではなく、いまこの娑婆ですでに厳粛な人生を歩んでいる真実をかみしめ、1日1日を確かなものにしていきたいものです。

           

           《 心のスイッチを入れる 》の段落では、

           

           教育者の東井義雄先生が、小学校の校長をされていたとき、ある教室に掲げられていた言葉、

          「ずいぶん 寒くなったが/いつまでも 寝床の中で/グズグズしていないで/心のスイッチをポンと押して/パッととび起きようではないか/ポンとスイッチを押すと/パッとあかりがともるように/朝起きも ポン・パで行こう」

           

           いまはちょうど一年でいちばん寒い時期ですから、この「ポン・パ」は、いろいろなシーンで活用できそうです。それぞれが苦手とすることに当てはめてみてもいいですし、日常生活のなかで真理を自覚することについても、この「心のスイッチ」は役に立つように思います。

           

           朝、ご宝前にお参りするとき、学校や、職場や、教会道場へ出かけるために家を出るとき、「おはようございます」と人とあいさつをかわすときなど、毎日、何気なく行っていることのどれか一つを「心のスイッチ」を押すきっかけにして、心に「ポン」と「真理の電流」を流し、「きょう一日、出会う人を大切にしよう。時間を有意義に使おう」というような「真理の灯り」を心に「パッ」とともすのです。

          「ありがとう」という感謝の言葉も、私たちが「いま・ここに存在する」という厳粛な事実から生まれた「有り難い」を語源とするものであり、真理をかみしめるための「心のスイッチ」にはうってつけといえるでしょう。こうした習慣が身につけば、ことさら意識しなくても、私たちの日常は自然に厳粛なものになっていきます。

           

           入滅される前、釈尊は

          「すべては移ろいゆく。怠ることなく精進しなさい」

          といい残されました。

          涅槃会には、ご自身の死に際して、あらためて無常の法を説き、精進を促された釈尊のお心に思いを寄せてまいりたいと思います。

           

           と、締めくくられた。

           

           

           1月は、「 自灯明 ・ 法灯明 」の心構えをいただきました。

          この教えも釈尊ご入滅前のお説法でありますが、いよいよご入滅される際のお言葉が、上記の『 無常観 』であります。

           

           2月「 涅槃会 」の今月は、仏教の根本義「 三法印 」(変化と関係)を「 導き ・ 手取り ・ 法座 」の基本信行を通じて、しっかりと自覚を深める精進をさせていただきましょう

           

                                                                                合掌

           

                                                                         立正佼成会 姫路教会

                                        たかとし

                                   教会長 吉 田 高 聡

           

           

           


          平成30年1月度 教会長のお話し

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             1月号「佼成」の会長先生の「ご法話」を拝読させていただき、感じたことを書かせていただきます。

             

            まず、平成30年最初のご法話ですので、今年の指針と受け止め、かみしめさせて頂きたい

             

            今月は、『 明るく、朗らかに 』というテーマを

             

            〇 自らを灯として   ・・・

            〇 法をよりどころに  ・・・ の2段落でご解説いただいた。

             

             まず、「自らを灯として」の段落では、

             

             元日の朝を「元旦」といいますが、これは地平線から太陽があらわれ出た姿をかたどった文字で、元朝の日の清々しい輝きを受けて、新年を迎えた私たちの身心はいきいきと発動し、一年が始まります。

             そうしてはじまる一年をみなさんは、それぞれに思うところ、期するものがあると思いますが、だれにも共通するのは、一年を通して明るく、朗らかにすごしたいという願いでしょう。

             そうであれば、ぜひ忘れずにいたいことがあります。それは、私たちに生きるエネルギーを与えてくれる太陽のように、まずは自ら朗らかになって、人を和ませ、喜ばせることです。ときには人に励まされ、他の人の明るさに癒されることもあるでしょうが、自ら明るく朗らかに生きるーーーそれが大切だと思います。

             ただ、「生まれつき陽気な人でない限り、それは難しい」と諦め、ため息をつく人がいそうです。しかし、諦めることはありません。

             

             仏教では、自灯明(じとうみょう)・法灯明(ほうとうみょう)と教えています。

             

             自灯明は「自らを灯として生きる」ということですが、それは「何にも左右されない確固たる生き方の芯がある」ということです。そしてその「芯」となるのは、自分を含むすべての人が、かけがえのない命を、いま・ここに・自ら生きているという揺るぎない「信念」で、いま命あることへの「感謝」が、芯を明るく灯しつづけるのに必要な「油」といえるのではないでしょうか。  

             

             

             「法をよりどころに」の段落では、

             

            「足無し禅師」と呼ばれた禅僧・小沢道雄(おざわどうゆう)師の厳しい戦争体験から、両足切断をし不自由な体での艱難辛苦(かんなんしんく)を通して、二十七歳の時に「人と比べるから苦しむのだ」「比べる心のもとは二十七年前に生まれたということだ。二十七年前に生まれたことはやめにして、両足を切断したまま、きょう生まれたことにしよう。今日生まれた者には一切がまっさらなのだ。本日ただいま誕生だ!」と思いを定め、「いつもにこやかにしていよう」「ありがとうと、必ず感謝しよう」を心がけ、温顔の仏道人生を歩まれた。

             

             明るく、朗らかに生きるというとき、陽気な性格や環境に恵まれていても、いなくても、要は何を心の芯に据えるかが大事で、私たち仏教徒にとっては、それが仏法(ご法)であることを、小沢師が明快に示してくださっている、そしてこれが法灯明でありましょう。

             

             また、見方を変えれば、ほんとうの明るさ、朗らかさは、苦悩を突き抜けた先にあるといえますが、苦悩を突破するには、先に述べた「生き方の芯」とともに、さまざまな思わくにとらわれないで心を一つに向かわせる「志(こころざし)」を持つことが大切。

             

             高浜虚子の「年改まり人改まり行くのみぞ」の句のごとく、一人ひとりが「自らを新たにする」という清新な心意気をもって、明るく朗らかに一年をすごしていこうではありませんか。

             

            ・・と、締めくくられた。

             

             

             今月は、教団創立80周年を迎え、100周年に向けての出発の月に、「自灯明・法灯明」の心構えをいただきました。

             

             「自灯明・法灯明」の教えから、寿量品の「良医の譬え」を思い起こします

            子供たちが、五欲の毒に侵され、本心を失い、ただ、父である良医に救いを求めます。良医は、我が子に良薬を処方するが飲もうとしない、そこで、父は他国に出かけ、そこで亡くなったと伝え、子供たちは正気を取り戻し、薬を飲み回復した。

             譬えの真意は、毒に侵されている子供たちを救うのは、父が救うのではなく、薬が解毒するので、薬を飲まなければ救われない。

            つまり、「法」である薬を自らとって服する「自灯明」が重要であり、

            いよいよ『 発 』、

            「自ら」という主体性を発揮することを決定させていただきましょう

             

                                                                                  合掌

             

                                                                           立正佼成会 姫路教会

                                          たかとし

                                     教会長 吉 田 高 聡


            12月度 教会長のお話し

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               12月号「佼成」の会長先生の「ご法話」を拝読させていただき、感じたことを書かせていただきます。

              今月は、『 「型」を身につける 』というテーマを

               

              〇 「型」は方便     ・・・

              〇 「型」は無我の実践  ・・・ の2段落でご解説いただいた。

               

               まず、《 「型」は方便 》の段落では、

               

               柔道や剣道などのスポーツ、また芸術や芸能の道で、手本となる体勢や動作のことを「型」といい、そのような世界に限らず、私たちの日常生活における身近な所作にも「型」というものがある、と会長先生は受けとめられておられます。

               

              そして、たとえば、約束した時間を守る、三つの実践をするという所作を「型」として身につけ、日々実践することが大切。

               ちなみに「所作」とは、仏教で「身と言葉と心の三つのはたらきの現われ」をさします。つまり私たちは、行ないや言葉をとおしてなんらかの心を表現している。

               

               では、その心とは何か。どのような心を「型」として身につけることが大切なのか、それは、思いやりや慈しみの心にほかならない。その心を体現し、それを「型」として日々実践することによって、私たちは慈悲の心をさらに深く胸に刻みつけていくのです。

               

               「型」を身につけていれば、たとえ少々、心が乱れても、すぐに思いやりや慈しみの心に立ち返れます十界互具の展開、六道に止まらず)。

              その意味では「型」は「方便」ともいえますが、しかしそれは即、思いやりや慈しみという「真実」に直結するものです。

               

               《 「型」は無我の実践 》の段落では、

               

               思いやりや慈悲の心が、日常生活での「型」の根底をなすとすると、その現れとしての所作・行いに「これでなければならない」といった決まりはなさそうです。この世に一人として同じ人はいないのですから、思いやりや慈しみの心を反映した「型」も、個性に従って多様であるのが自然といえるでしょう。

               

               その意味では、仮に個性の数だけ「型」があるとしても、自分勝手な「型」は、「型」とはいいません。むしろ「自分の思いどおりにしたい」というわがままな心を抑えるために「型」があるといえるのです。

               

               「型どおり」と聞くと、変化や工夫がないように思いますが、「型」に従って「そのようにしなさい」と、いわば問答無用で実践する ❝ ハイ ❞ と素直に聞き、実践する)機会は、自分の都合を大切にしがちな私たちが、無理なく「無我」になれる瞬間でもあるのです。

               

               本会の法座や読経供養、あるいは「まず人さま」の実践も、それをつづければ仏さまのような慈しみ深い人になれるという「幸せの方程式」として、本会の歴史を支えてきた大切な「型」であると思います。

               

              と、締めくくられた・・・。

               

               今月は「型」としての『三つの実践』、「所作」としての『身口意の三業』を清めること、『七佛通戒偈』にある、❝ 自浄其意 是諸仏教 ❞ 仏教である所以をかみしめて、しっかりと「型」を身につける三つの基本信行(「ご供養」「導き・手取り・法座」「ご法の習学」)を、❝ 急がず、休まず ❞ コツコツと続けることを決定させていただくことにより・・・

              80周年へ向けての心構えとさせていただきましょう

                                                                                    合掌

               

                                                                             立正佼成会 姫路教会

                                            たかとし

                                       教会長 吉 田 高 聡

               

               

               

               


              平成29年次「法の友五人衆」報告会

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                姫路教会では、「感謝のお礼参り」が毎月28日に支部ごとに地域で行われています。1128日は今年次最後で、教会道場で行われました。

                 

                「感謝のお礼参り」式典終了後、平成29年次「法の友五人衆」の活動報告会があり、各支部の今年一年の活動の成果を発表しました。

                 

                支部独自に地域で春季彼岸会、水子供養、地区大会等の行事が開催されました。

                 

                支部長さんを軸に、主任さん、組長さんを中心に「法の友五人衆」体制で支部の行事を計画・実施し、手取り布教伝道活動に取り組んできた成果を、映像を使ったり、寸劇を交えて布教活動の様子を演じたりして発表しました。但馬道場からも、寸劇や歌による発表の様子が中されました。

                 

                行事を計画し、教会道場へ足を運ぶことができにくい会員さんをお誘いする中できめ細かい触れ合いをしながら功徳の確認ができ、新しい活動会員が育ち、五人衆の班が増えたり、導きに繋がったり、壮年青年の活動にも繋がってきたことなど、多くの成果が発表されました。

                 

                地区大会の内容は、嫁と姑の料理教室、趣味の教室、趣味の作品の展示会、研修・法座、お茶会法座等々独自の特色を生かした行事が多くありました。

                 

                 課題として、年間計画を立てること、一人ひとりを大切にすること、より細やかな手取りをすること、だれもが参加しやすい企画を立てること等、そして信頼関係を深め、信仰につながる支部活動を目標に、青壮年の輪も広めていきたいという発表がありました。

                 

                教団創立80周年の来年に向かって、各支部とも五人衆のより一層の活躍を確認し合いました。

                 

                最後に吉田教会長よりまとめの言葉を頂きました。                                                                        

                 

                                                                     合掌

                 


                                寸劇による活動報告                

                 

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                            映像による活動報告

                 

                           但馬道場からの報告中継

                 

                 

                 

                青年部BBQ の様子                    地区水子供養の様子

                 

                                                                             

                明るい社会づくり運動講演会          趣味の作品展示の様子

                 

                 

                「教会長のまとめの言葉」主旨

                 

                『私は昨年12月に姫路教会に就任して1年になります。「法の友五人衆」という布教のあり方(布教システム)を5、6年続けきてここに定着してきたとということでありました。1年間の布教していくスケジュールが、主任さんを中心に支部長さん方がまとめてこられたので、今日の発表のように きちっと続いてきているのだと思います。真剣に一年間布教伝道に取り組んでこられたので今日前に出られた主任さんお一人お一人が何か感じることがあっただろうと思います。私も今年一年間ご一緒させていただきながらなるほどと思わせていただきました。いよいよ来年は創立80周年を教団は迎えていくのであります。 

                 

                但馬を含めた11各支部が支部長さんを中心に主任さん、組長さんと一緒になって地区大会、お彼岸会(春季)、水子供養またその間に本部参拝などを通して一生懸命お手取りをしていただいた成果を、今日は短い時間で見事に発表していただきました。11月の締めくくりに教会全体で法の友五人衆の感謝の報告会を各支部がされました。全支部が何らかの形で(中身はともあれ??? )法の友五人衆の活動の中で、一生懸命布教伝道してこられた一人ひとりの功徳を確認できているので、全体の発表の内容に、お互いが共感を持ち合うことができたのではないでしょうか。

                 

                このまま、来年も一人ひとりを大切にする・せっかく佼成会のご縁に触れている会員さんでありながらこちらの都合でお手取りができなく寂しい思いをかけている人が一人でもいないようにしっかりと布教伝道をさせていただいて、来年もみんなで「今年一年頑張ったね」といえる報告会になることを楽しみしたいと思います。

                 

                共々に、教団創立80周年を新たな出発の年として会長先生を中心にしっかりと布教伝道させていただくことをお願い申し上げて、結び総評とさせていただきます。』

                 

                 

                 


                平成29年12月度 姫路教会行事予定

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                  11月30日〜12月1日       団参

                   

                  12月 1日(金)   9:00〜   朔日参り(布薩の日)

                          19:30〜21:30  夜間朔日参り(当番:姫路南支部)

                           

                  12月7日〜8日          団参


                  12月 8日(金)   9:00〜   成道会


                  12月10日(日)   9:00〜   脇祖さまご命日


                  12月15日(金)   9:00〜   迦牟尼仏ご命日(布薩の日)

                   

                  12月23日(土)11:00〜13:30 少年部クリスマス会

                   

                  12月24日(日)   9:00〜   法座納め・大掃除・お身拭い

                   

                  12月25日(月)〜31日(日) 自由参拝


                  RKKサンガの清掃奉仕

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                    立正佼成会姫路教会・姫路南支部(藤野支部長)は、毎月恒例の『龍門寺(りょうもんじ)』の清掃奉仕を1116日行いました。

                    清掃奉仕は約20年に渡り行われております。

                    この日は、澄み渡るような青空のもとではありますが木枯らしのような寒風が吹く中、藤野支部長さんをはじめ南支部の会員さん16名が参加致しました。

                     

                     

                    ここで、『龍門寺(りょうもんじ)』の紹介をさせて頂きます。

                    『天徳山 龍門寺』は、臨済宗(りんざいしゅう)妙心寺派(みょうしんじは)禅刹(ぜんさつ)で、「不生(ふしょう)(ぜん)」を説かれた盤珪(ばんけい)国師(こくし)の根本道場として寛文元年(1661)に創建され、当時の遺構をそのままに350年の法灯を持続しておられます。

                    境内には、開山堂をはじめとして九つの伽藍、そして総計三十にも及ぶ建物があります。

                    現在のご住職は、大衆禅道場師家:河野(こうの)太通(たいつう)(ろう)大師(たいし)でございます。

                     

                     

                     

                     

                     

                    清掃奉仕は毎月場所が変わりますが、今月は「地蔵堂」「観音堂」の二つの伽藍を清掃致しました。

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                    この二つのお堂は、長年龍門寺へ清掃に来ておられる方でも、堂内の畳の部屋のお掃除は2〜3回の経験しかなく、貴重で有難い体験をさせて頂きました。

                    作業の終わりごろお寺より、温かいお茶やお菓子を頂戴し、参加者一同心身ともに清々しい気持ちで清掃奉仕を終了いたしました。

                    最後に、今回はこのブログ記事作成のため、無理をお願いし〔杉浦副住職〕さんと記念写真を撮らせて頂きました。

                     

                     

                    有難う御座いました。 合掌

                                                     文責 H(Y) . N


                    仏教研究会

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                      11月5日姫路教会では、12名の政治関係者が参加して仏教研究会が開催されました。吉田教会長の挨拶、2名の参加者代表の挨拶に続き、天台宗別格本山 書写山圓教寺長吏探題 大樹孝啓大僧正より政治と宗教について詳しく御講演をいただきました。最後に大樹孝啓大僧正より助言を頂きながら、参加者の感想発表がありました。                                                                                                                                    合掌

                      文責:M.O

                      講演の内容はつぎのようでした。

                      前回科学者も宗教心がなければならないと申しましたが、

                      お釈迦さまは二千五百年前に今の科学者が苦労して発見したことをすでに発見されていたことに素晴らしさを感じ敬服せざるを得ません。年間難行苦行して山を下りられ、七日間 菩提樹の下で瞑想に耽って悟られました。その間毎日太陽が昇り、沈むといった自然現象、宇宙というものを対視されて、この宇宙に何か素晴らしい力を持ったものがある。宇宙の仏さまということを体得、感得されました。自分もここで死ぬといような苦行もやってきたけれども、今なおこうして生きているのは宇宙の生命、仏さまの命を今貰っているからではないか。素晴らしい智慧が浮かんできたことを悟られて、世のため人のために尽くそうというお気持ちになられました。

                       

                      仏教というのはお釈迦さまで始まって、お釈迦さまは四門出遊と言って 王子であったお釈迦さまはお城の門を出て人が病気で苦しんでいるのを見たり、死体が運ばれているのを見たり、虫や小鳥の生きざまを見て生存競争を知ったり、当時インドでは沢山の人たちが仙人になると言っていろんな場所で瞑想にふけっている様子を見たりして、世の中とは大変なものだなあ、大勢の人達は皆幸せだと思っていたのに苦しんで悩んでいるのを見て、何とかして世の中の人が皆幸せになる方法はないものかと悩まれて、城を抜け出して年間難行苦行されました。目的は、ただ自分の悟りを開くことだけに修行をするのではなく、『庶民の幸せのために』考えるのだという目的でお城を出て山に入いられ、瞑想にふけって修行をしている先輩たちに教えを乞うて修行されました。

                       

                      その精神を汲まれたのが伝教大師最澄であって日本の平安時代に比叡山に延暦寺をつくられ、その後中国へ行って修行を積まれて、仏さまの教えのほとんどを学んで帰ってこられました。

                       

                      宗教と政治というものは 世のため人のために尽くそうという気持を持つということで これは非常に切っても切れないものだと思います。こうやって、今日も市長さんや議員さんの大勢の先生方は、どういう話か知れないけれど聴いてみようというお気持ちで おいでいただいただけでも素晴らしいことだと思います。敬服いたします。

                       

                      昔、清瀬一郎という素晴らしい衆議院の議員さんがこの地域(姫路市夢前町)におられました。衆議院議長までされ、終戦後には戦争反対の裁判(東京裁判)の弁護団の団長もされました。この方は常に机の横に妙法蓮華経の本を置かれて、ことあるごとに読まれていたそうです。宗教心を持ち合わせておられた立派な政治家だと思います。

                       

                      アメリカの大統領も就任した時に聖書に手を置いて宣誓するそうです。

                       

                      宗教心を持つということは、宗教家になったり、宗教団体に入ったりすることも大事ですが、元になる基本にも個人の宗教を持つということが大事です。

                       

                      政治では、聖徳太子がまず仏教に感服されて『厚く三宝を敬い、和をもって貴しとなす』という項目を取り入れ、仏教の精神を中心とした十七条の憲法をつくられました。

                      その後も歴代の天皇方も仏門に入られ、天皇をやめられても、仏門に入って法皇という名称でお称びするような時代がずっと続いておりました。今でも京都の泉涌寺に歴代の天皇のお位牌がございます。天皇が京都においでになりましたらお位牌の前で礼拝されます。私も一度そこへ行きましたが何とも言えない気持ちがいたしました。だから天皇陛下も普通仏教徒であったのです。明治以降神仏が分離され、主な行事は神道の主催者として行われています。

                       

                      日本の国は自然を尊敬し、自然を大事にするという惟神(かんながら)の道、神道というものがございます。神主(かんす)という者、神には絶対に従うという教えのもとに、新しい仏教が入ったら非常にそこで争いがあったと思いますが、日本人はお宮もお寺も同じように大事にして、神道の教えも仏さまの教えも信じてきました。そして現在では神仏という述語のように使われています。初詣に出かけましてもお宮にもお参りし、お寺にもお参りします。車にぶら下がっている交通安全のお守りを見てもお宮のお守りを付けているものもあれば、お寺のものもあります。

                      本地垂迹説という説をとなえる人があります。日本の神は本地である仏・菩薩が衆生救済のために姿を変えて迹(あと)を垂れたもうのだとする神仏同体説 平安時代に始まり明治初期神仏分離により衰えました。

                       

                      ところが明治維新で神仏分離が行われまして神道と仏教、お宮とお寺が争うことがありましたけれども、五年ほど前から神仏霊場会というのがございまして、お寺とお宮を巡拝することも考えられ、両方が祝詞をあげ、お経をあげて平和祈願をしています。そういうような行事をはじめ、お宮とお寺が仲よくしましょうという方向で今進みつつあります。

                      この間も神仏の融合ということで、近畿地方の神主さんが二百何十人集まられた総会の会場で、私はその責任者である姫路護国神社の宮司さんに依頼されて、「お釈迦さんの一生と仏教の大体の歴史」という仏教のお話を申し上げました。

                       

                      伝教大師が願われたのは、庶民の幸せということでありますが、日本の国を浄仏国土にしたい、極楽浄土の世界にしたいということでありました。鎮護国家 国を護り鎮める、そして人々の幸せという三つの大願の目標があったと思われます。

                      人々の幸せのためにはその人々が在家の菩薩になってほしいということです。出家の菩薩と在家の菩薩がありますが、在家の家庭生活や社会生活をしながら仏教の教えを守っていくというのが在家仏教でございます。菩薩というのは、自分をさておき人を尊重する、人のために働くのが大目標でございます。

                       

                      在家仏教というのは家庭生活をしながら、社会生活をしながら、生活そのものが行であります。朝早く家庭で奥さんが起きて、みんなが起きる前にご飯ごしらえをする。これも大変なことです。もっと朝寝がしたいなあと思っても無理に起きてしなければならない。しかし(、これも(家族のために行う菩薩)行だと思ってやれば気が楽になるのではないかと思います。

                       

                      議員の先生方でもいろんな問題にぶつかられる。こんな委員会に入らなければよかったと思われる方もあるかもしれませんが、しかしその苦しい、難しい問題にぶち当たること、これが自分に与えられる一つの修行の項目であったと、それを嫌がらずにぶつかっていただきたいものです。

                       

                      私は昭和40年に学校をやめて山に上がりました。しかし、特別の修行は何もしておりませんが、一体どうなるんだろといろいろ考えましたが、山に上がって何でもやるんだとお経を読むことも大事だし、大勢の参詣者が来て接待もしなければならない、掃除もしなければいけないし、当時のトイレは汲み取り式で便所がいっぱいになればタンゴにくみ取って天秤に担いで山の中へ捨てに行きました。いやだと思うこともありましたが、これも修行だ、やるべきだという気持ちでやっていると、嫌だという気持ちが薄らいできました。そういう気持ちで嫌がらずにそれを受け入れていくことが菩薩行でございます。

                       

                      比叡山では一般募集して一念本成といって、仏さまと結縁を結ぶ仏結縁灌頂といって、仏さまの弟子になるという儀式がございます。そして仏さまの教えを信じなさいという行事で、授戒会がございます。戒を続けるといっても、もともとお釈迦さまの申された中には、二百五十八戒だったそうですが、これは常に取り締まられているようなものですね。

                      十重四十八軽戒という戒律のお経がつくられて、十の重い戒律と四十八の軽い戒律を決められが、まだ多いんですね。最後に今受戒偈という戒を授ける儀式では五戒を授けます。

                       

                      五つとは、不殺生戒、不偸盗戒、不邪淫戒、不妄語戒、不邪見戒を言います。

                      不殺生戒、殺さない。生き物の命を取らない。

                      不偸盗戒、人のものを盗まない。泥棒をしない。

                      不邪淫戒、邪な男女関係をつくってはならない。

                      不妄語戒、嘘をついてはいけない

                      不邪見戒、物事を正しく見る。同じ出来事でも皆人によってはものの見方が違います。同じ話を聴いてもとらえ方が全部違います。それを正しく物事を見ていきましょう。正しく解釈していきましょう。正しく受け取って、自分で考えましょう。

                       

                      それは皆さんご経験があると思いますが、ところで、五戒というのは、誰でも皆さん五戒を犯しているという人はほとんどいないと思います。常識として日本人はこの五戒を従来何百年も守ってきました。ですから、世の中は非常に平穏であったと思います。

                      最近では犯罪が非常に多くなるように思われますが。これは、世の中は十界という十の世界に分けています。世界というより種類に分かれております。

                       

                      十界の内の四つは、

                      仏は釈迦如来とか大日如来といった完璧無欠の仏さまがおられる界があります。

                       

                      その下にあるのが、絶対悟りになれる手前で如来の候補者で菩薩界といいます。観世音菩薩とか地蔵菩薩といった菩薩がおられるのが菩薩の界であります。

                       

                      その下に声聞・縁覚の二つの界があります。

                      これらは個人的なもので、自分さえ悟ればいい、自分が悟るんだ、お釈迦さまの教えを聞いたりして悟りに入る。誰の力の助けも借りないで悟りを開こうと瞑想にふけっている。

                      そういう四つの界にいる人はそれによってそれぞれの悟りを開いている訳で、この四つは別格なのですね。彼岸と言っています。

                       

                      それから後の六つですが、下から言いますと地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上と六つの界でございます。一つの種類分けですね。性格的に種類分けです。

                       

                      ところがそれぞれの人間も仏さまになっても、菩薩であっても、みんなこの十の世界の性質を皆持っているということですね。みなさんも私もそれを持っているはずなのです。人間というのはそういう性格をもっています。だから、地獄の生き物のような性格、或いは、餓鬼のような欲張りの性質も持っています。それから人を傷つけたり殺したり、詰ったり(なじったり)する、争いをする修羅の性格も持っています。みなこれらの性質を持っているのですが、十のものがすべて隠れているのです。それは理性と考え方によって抑えられているのです。その中の一つが出てくるのですね。

                       

                      例えば修羅の面が出てくると、この間も9人の人を殺したような残酷な話を毎日のニュースでやっていますが、どうして起きたのか私にも詳しくはかわかりません。不思議に思いますが、縁によってそういう人間の面が出てきます。いろんな十の世界の性質を皆持っているのですが、この十のどれが出てくるか、どれを出しているか。それが人間の生き方の問題だろうと思います。

                       

                      そういう地獄・餓鬼・畜生・修羅の性格は出さないのが皆さんの姿だろうと思います。そして菩薩のような、如来さまのような思い・心を持っていらっしゃるのが今ここにいらっしゃる皆さん方だろうと思います。これは信じていいと思います。でなかったらここにおいでにはなりませんから。これはうぬぼれではなく自信を持っていただきたいと思います。菩薩になるというのは、菩薩は普通の生活をして、兼行六度という項目がございます。

                       

                      兼行というのは行と生活を兼ねるということで、六度の度は「渡」という字で仏さまの四つの世界に渡るために 布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六つのことを心掛け、勤めたならばこれは完璧に菩薩さまであるということでございます。

                       

                      布施は、相手を尊重する、自分のことを後回しにする考えが布施の精神でございます。布を施すという意味で大風呂敷をもって皆さんの頭の上から着せると頭の大きい人も小さい人も同じように頭の上に載ります。つまり布を着せるように、平等に大勢の人に接しなさいということですね。相手を思う心自分を顧みないで無条件で相手に対する思いやりの心を持つこと、つまり仏さまの心でいえば慈悲の心です。それが布施の行ですね。

                       

                      次は持戒で、これは戒めを保つ、五戒がございますが、そのほか自分でこういうことはしないでおこう。こういうことは進んでやろう。ということを自分で自分を戒める心がけをする。

                       

                      忍辱は耐え忍ぶ、悲しいこと、嬉しいこといろんな苦しいことなど沢山ございます。しかしそれにじっと耐えるだけの強い心を持ちなさい。

                       

                      そして精進し、努力し一生懸命勤めなさい。真心もって勤めなさい。真心でそれを続けることが大事です。世の中で何が一番難しいかと言っても続けることが一番難しいと言われています。

                       

                      禅定 それは座禅ではございませんが、静かに落ち着いた動かない姿勢ですね。お釈迦さまが悟るために座られたのが今座禅という座り方でやっておられますが、あんなことをしなくても椅子に腰を掛けても、正座していてもいいです。とにかく長続きして動かないでおれる姿勢で物事を考える。或いはぼんやりとしてもいいのです。何も考えないで頭を空っぽにしておくこと。それも心を休める一つの方法です。

                       

                      その五つのことを努力しておりますと仏さまの智慧に近づけるというので、最後に智慧とあります。これは仏さまの智慧でありまして人間の知恵ではございません。

                       

                      これら六つのことが努力してできるようになればこれが在家の菩薩です。ですからもう先生方皆菩薩だろうと思っていますが、どうぞそういうことを、自覚をもって、これは菩薩の代議士だと思って政治に当たられたならば日本の国は素晴らしい国になるのではないかという気がします。政治と宗教ということで、宗教心を持った政治家だったら当選間違いないのではないですか。(冗談)

                       

                      五戒ということがありますが、もう少し縮めまして、これも当然皆さんもご存じのことだと思いますが、三聚浄戒といいまして、摂律儀戒・摂善法戒・鐃益情戒で難しい感じですが簡単に言えば、悪いことはしない、良いことをしよう、そして世のため人のため役に立つことをしようというこの三つですね。これは皆さん当然常識ではお持ちだろうと思います。そのために損得を離れて議員先生になられたと思いますが、そういうことはほとんど私が申しあげるまでもなく当然お持ちだと思います。

                       

                      最後に他の宗教との比較ですが、イスラム教のISはイスラム教の過激派の中の少数派の中のまたもっと少数の過激派のリーダーがやっているのであって、本当のイスラム教はあんなものではないと注意されたことがあります。

                       

                      だから比叡山では毎年宗教サミットと言って83、4日に比叡山に集まって、いろんな宗教の人が集まって平和祈願をします。その時、イスラム教の方もおいでになります。神道の方もキリスト教の方も仏教の人も諸派の人も、ご参列をいただいております。特に立正佼成会の会長さんは広い視野を持たれたお方でございます。そういった中、日に会議が開催されるのですが、特にイスラム教の人は会議中にも関わらず、時間が来たら会議をストップして礼拝をいたします。それがイスラム教の儀式でありますので、それを必ず守って14回必ず礼拝します。すべてを捨ててそれぞれの場所で礼拝します。イスラム教の人は規律を守ることに対して非常に厳重です。

                       

                      日本人は分かっていると言うけれどイスラム教の人のように厳密に五戒を捉えていないですね。ボヤっとしてあそこのお宮へ行ってご利益があるかどうかわからないけど拝んでみよう。お寺に参って健康祈願をしようと軽い気持ちでいます。あまりにも日本人は恵まれすぎて、今まで何百年、否千年以上続いてきた日本人はこういう気持ちがありながら自覚を忘れてぼんやりと頼りしているようなものが日本人の宗教観じゃないでしょうか。だからそれを確実に、こういう言葉によってこれを守らねばいけないという自覚をもっていくのが正しいのではないでしょうか。

                       

                      そのために立正佼成会は絶えず教えを述べられております。古い私たちの仏教関係ではそういう面でやや怠けているように思います。この新聞(平成29年11月5日付 佼成新聞)読ませていただきました。澤田総務部長の記事によりましたら、党派にとらわれず推薦してお願い申し上げたと書いてございました。これは当然ですね。自民党であれどの党であっても構わない。とにかく宗教心をお持ちで、世のために頑張られている方だったら推薦しましようというおおらかな立正佼成会の考え方、お気持ちがここに表れていたのだと思います。そして推薦された192名の当選と出ています。私たちは党派に関係ございませんが、やはりやはり世の中人のためを大事に考えて下さる党派あるいはそういう先生方に信頼してお願いを申し上げたいという気持ちでございます。

                       

                      自覚をもってこういうことは必ず、持戒は守ろう、あるいは忍辱、忍耐して我慢していこう。あるいは努力してもう少し続けようという心になって生活することが素晴らしいことです。ただ拝むだけでなく、拝むことも大事なことですが人間は弱いもので、頼らないといけない部分もあります。それが神仏に対する祈りの気持ちです。何としてもこうしてほしい、こうなりたいという願いをもって祈ることは大事なことであると思います。お祈りというのは出会いのもっと強いものであって、そして一人の祈り、これが強い物であれば通るであろうし、弱いものであっても大勢の結集した祈りの心が集中すれば 強い祈りの結集として実現するように私は最近考えております。

                      だから日本人全部が「もう戦争が起きないように」という気持ちでもっと努力すれば、安全になる、平和になるような気持ちがいたします。

                       

                      この辺で雑なことを申し上げましたが、終わらせていただきます。

                       

                       

                       

                      (日本の神道も仏教も決して対立の思想はなく、常に融合・調和の精神が基本になっています。これは平和の基本だと思われます。)     M.O

                       


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